きよしこ
重松清の短編連作集。ドラマにもなりました。
作者自身である主人公きよしが、吃音者であるが故に言いたいことがうまく言えなかったという少年時代のお話です。
「きよしこ」とは、なかなか友達が出来なかったきよしの想像の中のお友達です。
わが子の吃音に悩む母親からの「息子宛てに励ましの手紙を書いてほしい」と言う依頼に返事を出さなかった作者が、返事の代わりに自身の経験をモデルにしたお話を書いたのがこの作品です。
読みながら、中学時代の同級生で吃音者だった男の子を思い出しました。
頭が良くて人気者だったその彼も「ア行」だけが言い辛くて、みんなの前で話す時はいつも汗だくになり体全体を使って言葉を絞り出していました。彼が発表する時は、見てる私もまるで自分のことみたいにドキドキしていたのを思い出します。彼は吃音を周りにいじられながらも、皆にかわいがられ、一目置かれ、彼の周りには常に人が集まっていました。
同じ吃音者でも、きよしの体験してきたそれとはまた少し違うかもしれません。
同じ境遇に置かれても、出会う人や出来事も違えば本人のとらえ方や行動も人それぞれです。
きよしが父の転勤で転校を繰り返し、仲良くなった人との別れを余儀なくされる部分は、私自身の経験と重なりました。
きよしは転校するたび、一から人間関係を築く際にもこの吃音が弊害になります。
最初から最後までなんとなく、切なくて少し物悲しい気持ちで読みました。
こんな風に書くと、ただただ悲しい物語のように聞こえますが決してそうではなく、きよしはその引っ越した先々で忘れられない出逢いをします。
出逢いの中で、疑問に思ったり不信感を抱いたり、時には期待が裏切られたりもしますが、それが吃音者だからではなく、誰もがみな大人になっていく過程で葛藤したり壁を乗り越えたりするのと同じで、きよしの場合はそれを「転校と吃音」を通して経験していくのです。
そういえば、自分も転校するときはわんわん泣いたこともあったけど、日本全国津々浦々、いろんな地域で生活した経験やそこでの大切な出会いは、今となっては何にも変えがたい一番の宝物です。
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この物語で、吃音についての理解が深まったことは確かです。
そして吃音者でなくても「言いたいことが言えない」という場面は多々あって、その言えない気持ちにこそ大切なことが詰まっているのかもしれません。
気づいたら「星の王子さま」を読んだあとの気持ちとなんだかよく似ていました。
挿絵は、イラストレーターの木内達朗さん。
どこかほっこりするその絵は、版画だとばかり思っていましたが後でデジタルだと知ってびっくりしました。
帯に書かれていたのは、
たいせつなことを言えなかったすべての人に捧げる珠玉の少年小説「伝わるよ、きっと。」
うん、まさにそんな物語でした。