化学系博士課程学生が考える:旅行と音楽鑑賞の共通点。そして、2歩目へのヒント。
これは小林秀雄の言葉です。
旅行に関する言及をしています。
旅行先では見るもの聞くもの全てが新しい。
心中はうわぁという感じでしょうか。
頭に残るのはインパクトです。
なにか強く殴られたような、剣道で言えば面を打たれる感覚と言いましょうか。
そして、この強い頭への衝撃は奥まで浸透しない。
面を打たれて打たれたなって思うのはその一瞬だけです。
旅行から帰った後、すぐに日常に戻ることができるのもそれが理由でしょう。
きっと、感情が伴わないというのはそういうことでしょう。
やはり、感情まで届くには長い時間が必要、それが生活感が伴うという意味だと思います。
私は今年アメリカ、オーストラリアの2カ国に行きました。
確かに、強いインパクトは残りましたが情に根差した何かがそこで育まれたという感覚はありませんでした。
感情ではなく感覚というのも頷けます。
私はこの小林秀雄の文を読んで何かに似ているなと思いました。
それが、音楽鑑賞です。
音楽鑑賞というと大袈裟ですが、音楽を聴くことですね。
私が良いと思った曲を聞くと、まずは強いインパクトが残ります。
それも、まずは頭で感じるように思います。
強いインパクトはまず頭残るのです。
今年の1月くらい。
夜の9時くらいに融点測定をしながら音楽を聞いていました。(本当はよくないです笑)
YouTubeのミックスリストを流していました。
そして、知らない、初めて聞く曲が流れてきました。
CHAGE&ASKAの『風のライオン』という曲でした。
イントロが流れた時、あまりの良さに感動して泣いてしまったのです。
だから、融点が見えなくなってしまうと思い、焦ったのですがそれは置いておきましょう。
あの感覚はどう表現したら良いでしょう。
頭が、目頭が熱くなる感覚。
いつまでも耳の奥で鳴り続けるメロディ。
時が止まったような感覚。
そう、確かにそうです。
良い音楽を聞いたら全てを忘れてその音楽だけと向き合い、時間も空間もないような、そんな感覚です。
そして、これらは感覚であります。
良いということだけが頭を駆け回り、興奮し、じわじわと滲み出るものではありません。
これは、旅行の感覚に近いのではないでしょうか。
駅を降りて、旅先の風を受ける時の感覚。
着いた!という胸の高鳴りと初めて見る景色から受ける衝撃。
だから、というわけではありませんが、私は良いと思った曲を聞いたらひたすらに聞き続けます。
WALKMANに入れて、一曲リピートで聴き続けるのです。
馴染むまで私は結構聞く。
ここはこんな歌詞なんだとか、ここのcメロが良いとか。
そして、馴染んだ頃に私の中で殿堂入りします。
だから、私の中のよく聞く曲リストに入るというイメージです。
そして、これが生活感情に近いのではないかと思ったのです。
同じ曲でも、初めて聞いた時と何度も繰り返して聞いた時では受ける印象が違います。
何度も聞いた後は、なんか良いなという、ジワジワとうちから込み上げてくるものです。
また、こんな場面はこの曲だな、などと思います。
朝起きて、水を飲んで、今はこの曲の気分だとか。
大学行く前に一回この曲を聞くか、とか。
これこそ、生活感情ではないか。
自身の中の収まるところに収まったからこそ生まれる感覚ではないかと思います。
そして、小林秀雄は良いものを書くには生活感情が必要という。
確かに、初めの衝撃だけでは言葉は紡げない。
曲ならば何度も聞いて、自身の収まるところに収まらないと言葉は出てこない。
このことから、私が次に踏み出すべき一歩が見えた気がしました。
これは、本でも同じではないかということです。
確かに、今でも好きな本は読み返す。
しかし、まだそこまで辿り着いていないという感覚があります。
本において、生活感情がない。
衝撃のみ。
だから、言葉がうまくつながらないのではないか。
自身の中でまだ落ち着いていないのではないか。
様々な本を開くことにより、垢はだいぶ落ち、直観は磨かれた。
次はそれを落とし込むところです。
まずは、本を絞るところから始めるのが良いかと思っています。
実際、音楽でも繰り返し聞く曲は少ない。
自分が本当に良いと共鳴できるのは限られる。
だから、本も絞る。
そして、満足感が得られるまではそれらだけを読み続ける。
これは、私の直観と確信です。
次の一歩はこれにより踏み出されるという直観であり、確信です。
今の私は、今の研究テーマを決めた時と同じ気持ちです。
ワクワクします。
それでは