個性的とはなんだろう【ラボでの会話】
研究室では実験をするだけではありません。
もちろん、自分の研究に関することを先輩方とディスカッションしたり、面白い論文を見せあったりはするのですが、さすがにそれだけでは疲れてしまいます。
たわいのない日常会話だってするんです。
あいつは実験を全然しない、とか、あの先生はインキャ寄りだなとか。
くだらないと思われる会話こそ、人々の精神安定剤なんだと思います。
スピッツも、くだらない話で安らげる僕らはその愚かさこそが何よりも宝物、と言ってますしね。
今日私は、いつも通り1人のラボメンバーとバカ話をしていました。
そのラボメンバーはとても面白い人で、その人がいると周りが盛り上がります。
あいつが今日来たぞ!ってなるようなキャラです。
来るだけで笑いが取れるなんて、とても羨ましく思います。
そんな彼が、俺は個性の塊みたいな人が好きなんだよね。と言ったんです。
あー。確かに個性的な人っていいよなー。
私も個性がないのだけは嫌だな、などと考えていたのですが、
そもそも
個性がないってなんなんだ?
人は一人一人違うもの。
もはや、個性なんて考えるまもなくあるはずのものです。
世界でその人は1人しかいないんだから。
しかし、私の感覚としても、個性的な人というニュアンスは伝わるし理解もできる。
じゃあ、どんな人が個性的か。
私は、基礎的に独りな人だと思います。
いつも他人と一緒にいる人、化学で言えばダイマーやトリマーの人。
ダイマーは二量体、トリマーは三量体という意味です。
こんな人は個性的と呼べないんじゃないでしょうか。
また、化学にはエキシマー発光というものがあります。
一分子では発光しませんが、会合体になると光る分子のことを言います。
このエキシマーのように、誰かといないと輝けない人も個性的と言えない気がします。
ただ、ダイマーな人も、トリマーな人も本当は個性的なんです。
だけど、他人といることで個性を捨てている。
単分子ではなく二分子、三分子としての性質になってしまっている。
私はそう考えました。
昨今で孤独を推す本が多くあります。
私もそのことには賛成で、個性を作るためには孤独になるのが手っ取り早いと思います。
本の言いなりは悔しいですが。
単分子として生きていること。
これが個性的であることなんだな、と今日は考えました。
それでは
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