親の期待に応える人生から、自分のやりたいことをやる人生にする、と決めた後の話。
先日書いた記事に
たくさんのスキや、コメントをいただき、読んでくださりありがとうございました!
あれから、
同じ現実を繰り返している思考はないか、自分と向き合っていたとき、
ふと思い出したことがあったんです。
振り返る、大学4年就活、見事すべて惨敗、その後の袋小路の話。
実は、大学4年、就活のとき、
公務員試験の勉強をして受けたけど、見事惨敗。
並行して、民間企業を受けたけど、見事惨敗。
どこにも就職が決まらず迎えた卒業式。
だったのです。
なのに、
何の不安もなかった。
とは言えないけど、
不安より希望の方が大きかった。
それは、
これでやっと、自分がやりたかったことをやれる。
勝手に思い込んできた、
親の期待に応える人生から、自分のやりたかったことをやれる人生にしよう、
と、決めたからだった。
覚悟を決めて歩みはじめたときだった。
今振り返っても、その後の出来事は不思議なことの連続です。
周りの友だちは就職が決まり、実家に帰る姿を見送り、
わたしは実家には戻らず、一人暮らしをしながら、
家賃と生活費にヒーヒーいいながら、
資金を貯めたくて、夢と同じ業種で仕事をすることにした。
(というか、在学中にとった資格を活かせる仕事に出会わなかったというほうが事実に合っている。)
職場では、
人間関係で悩んだ、けれど、
夢のために、
笑顔でいるようにつとめ、愚痴や泣き言は言わないと覚悟して過ごした記憶。
ここで、愚痴や泣き言をいってしまうと、夢が遠のきそうと思えてしかたなかったから。
そして、上京の時期が来て、仕事を辞め、
部屋を借りる準備、専門学校に入金したり、身辺整理をした。
だけど、親の同意がないとのことで部屋は借りれず。
親の反対で、諦めることになった。
(どこかのブログにも書いたけれど、親に反対されて諦めれる夢だったんだと、その後受け入れている)
先も決まらず、後ろにも引けない。
ほんと袋小路にいた。
元職場の上司から、どうなった?
フリーなら戻っていいよ。
と声をかけてくれた。
(卒業後に仕事が決まらなかった一ヶ月間、次が決まるまで、ここにいればいいよ、と。知人に声をかけてもらったこともあった。本当に感謝しています)
その後、半年もたたないまに、
ふと、思い立って検索したらヒットした求人サイトで、
第二新卒採用で就職でき、
聞かれて話した人たちに、ラッキーだね、
という状況が次々に起こって、地方では数少ない大手に入社することになった。
その後、
大変に思う状況はあったけれど、
どんどん、こうなりたいという世界に住む世界が変わってきました。
何度もいってしまうけれど、
自分でも、あのときは、本当に不思議だった。
ラッキーより奇跡に思える。
自分の思い、これやりたい、こうしたい、こんなふうになりたい、を進んでみても、
うまくいかないことは起きる。
親や周りのすすめる安定、安全の道は、確かに安心。誰もがいて、それがうまくいってるように見えるから。
でも、どちらに進んでもうまくいかないことは起きる、ものなんですよね。
(聞かされて思い込んでいることもある)
20代は若さと経験の少なさで勢いで進めたりするけれど、歳を重ねると経験が増えてお利口になる分、言い訳する自分も増える。
このうまくいかない、と思える時間と自分との向き合い方を知っていると、
起きた出来事に振り回されずに、
どこか、根拠のない自信をもって、どこか安心してすすめるのかなぁ、と今では思います。
あとあと振り返ってみると、
選ばなかった選択や閉ざされた道、ダメだったという結果も、
それがあったから良かったんだ、
うまくいく流れに乗っていたのかなぁ、
と思うことばかりです。
今回、これからどうなるかわからないし、
不安はないかと言われると、
もちろんある。
(一度体験したから、脳の怠慢癖が起きないように注意しようと思っている。)
そう思う反面、
また新しい体験が待っているという、
少し期待を持てていたりする。
『このまま終わらせるなんて、おかしいよね。』って、自分に言い聞かせています。
そして、
あのときから、
苦しいことがあったら、次は嬉しいことがある。
とは思わないようにしてきたんです。
だって、
嬉しいことが起きたら次は苦しいことしか起きないなんて、変だもの。
嬉しいことの次も嬉しいことがあっていいんですよね。
だから、
苦しいと嬉しいはつながない。
苦しいことがあった、
いい経験になった、これで、次どうしたら良くなるのかがわかった。だから、よかった!
なんですもんね。
当時を振り返って、
何をしていたのかなぁ、というと、
心が明るくいられるためにエネルギーを注いでいたように思う。
好きな手芸をして、
行動すると形になっていく、という実感を体感していたり、
商いのことを考えることが好きで、これを売るとしたらどうしたらいいか?
と、黙々とあーでもないこーでもない、と考えてやっていたように思う。
何度目かの龍馬がゆくを読んで影響うけたり。
言霊を言って、心を温めて、
前向きな話ができる相手と会う。
こんなことをやってたなぁ、なんて思い出したのでした。
そう言えば、
いま、
黙々と編み物して、
前向きな話ができる相手に会いに行こうとしていて、
変化に抵抗する思考をみつけるために、モヤモヤしたら書き出して。
思い込みがあれば変更して。
こうなったらいいなぁ、という最終目標をイメージして。(願いをノートに書きためて)
わたしのうまくいかないと感じた時の過ごし方はこうなんだなぁ、なんて思うのでした。
ネガティブな気持ちが出るのは自然なこと。
ただ、そこにずっとひっぱられてしまうと、
チャンスにものれなくて、
うまくいくものも消えていってしまうように思うんですね。
ネガティブな気持ちに居続けたいのは、
自分の問題なのかなと思うんです。
自分の問題と受け入れて、取り扱ってみると、
脳の癖だったり、習慣だったり、する。
このネガティブな時間に長く居てしまうから、
夢がなかなか手に入らない状況が長く続いて、
夢すらも諦める、
選択につながるのかなって、
そう思うと、
自分の人生が悔しいなと、わたしは思うんです。
ネガティブになると振動数が下がってしまう。
宇宙との振動数と離れてしまう。
振動数が下がったままの時間が長くなると、
ますますうまくいく世界から距離ができてしまう。振動数を上げるのがとても大変になる。
だから、
偽ポジティブにならないように、
気持ちの取扱はするんだけど、
自分が自分の振動数を下げないために、
工夫しようって思ってやってみています。
わたしは、
自分の人生に、
ああ、幸せだった、十分に幸せに生きた、
と思って、最後をむかえたいと思うほうみたいです。