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「存在と時間1」(1927年)
非常に難解だが、おさえておくべき本だと感じた。
正直、よくわからないので、もやっとした感想になる。
ハイデガーが問うているのは、現存在とはなにか、ということのようだ。
現存在とは我々人間のことだ。ギリシア時代の哲学者たち。ソクラテス・プラトン・アリストテレスはこの現存在について考えていたようだが、時代が流れるにつれて忘却、もしくは自明のものとされてしまい、形骸化していた。デカルトとカントはこの問題を取り上げていたようだが、詰めが甘かったようだ。
問うことは探し求めることであるから、探し求められるものの方からあらかじめ導かれている必要がある。
この表現はおもしろい。
なぜハイデガーがこの問題を再び取り上げたのかはわからない。上記のようにハイデガーもまた導かれていたのかもしれない。
とにかく、ハイデガーはふたたびこの問題を取り上げるにあたって、状況を整理する。一つの問いのために、さらにたくさんの問いが派生していく。この感覚がおもしろい。ようするに、自明とされているものを明らかにするためには、その前提条件も整理しなくてはならないということなのだろう。
わからないわからないと言いながらも哲学を読むのは、自分がようやく、哲学というものに、(理解はできないのだが)興味を持つことができるようになってきたということではあるのだろう。
哲学者と呼ばれる人々が世界を分解し、彼らの視点で解説する。彼らも人間であるから、他の人と違うことをやらなければ評価されないので、がんばって新しい解釈をつけくわえようとしている場合もあるのだろうが、それでも、いわゆる古典と呼ばれるものには、時代の流れを生き残っただけの価値があると思う。
世界を独創的な視点で分解してみせる、という点に哲学の面白さがある。自分にとっては、このオリジナリティという点が哲学を読み続ける理由なのだと思う。
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