河野裕子『桜森』10
みづうみの湿りを吸ひてどこまでも春の曇天膨れてゆけり
灰色の空の下の灰色の湖、琵琶湖。春の薄ぼんやりとした曇り日には、空中にもほのかな湿り気が漂っている。湖から来る湿り気が空気を膨らませ、曇天の空を膨らませる。少し鬱陶しいような気怠いような春のある一日。
子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
自分と子との境界が曖昧だ。後年、物との境界も曖昧になる河野裕子の体感の原型と言える。湯に入る時、眠る時、共に子宮の中にいるように子と一体化している。身体的にも精神的にも子とわれは分かち難いのだ。
群青に滴りやまぬ夕空(そら)の下濡れて溺れて君待つものを
やまない雨、夕方になり、空が次第に色を変えてゆく。群青色にも感じられる雨が降り続く下、雨に濡れて溺れて、君を待っている。上句は正確な景の描写というより序詞に近い。「濡れて溺れて」が一首の眼目なのだ。
奪ひくるる君にはあらずさしのべしからつぽの掌に陽がたまりゐる
「君」は激しく奪うように愛してくれるのではない。むしろ穏やかに手を差し伸べてくる。主体は一抹の物足りなさを覚えている。「君」の掌を空っぽと捉え、そこに日光が溜まるような素朴さしかないように思うのだ。
なまめきて重たき髪よわらわらとほどけゐし身を起しゆくとき
愛し合った後、身体を起こす。その時、髪がなまめいて重いと感じられる。重く絡みつくような性愛の場面が立ち上がる。愛し合って自分の身がほどけたという把握が大胆だ。そこに「わらわらと」というオノマトペが強い。
陽の下に待ちゐるあなた影などは邪魔さうにして脚の長さよ
主体を待っている「あなた」は長身で脚が長い。陽光の下で影が長く伸びるので、邪魔になるほどだ。もちろんそう思っているのは「あなた」ではなく、近づいていく主体だ。「邪魔さうにして」の把握にユーモアがある。
2022.2.23.Twitterより編集再掲