『歌壇』2021年8月号(2)
⑥「ことば見聞録」タツオ〈川野さんは合評のときもちゃんとその言葉じゃなきゃいけない根拠を(…)説明してくれるのでわかりやすいし面白いです。〉川野〈そこが緩むと、三十一音というコンパクトな詩型の存在感がなくなる。入れ替え可能であってはいけない。作者は必然性を作り出す主体だと思っています。〉これは全面同意。河野裕子は歌会でよく「この言葉はまだ動く」と言った。これはまだ入れ替え可能、つまり完成形じゃないということ。その言葉じゃなきゃいけない、必然の言葉を探さなければいけないとよく言われたし、私は今もそう思ってる。
⑦「ことば見聞録」タツオ〈その人自身が面白くないと落語もやっぱり面白くない。面白い人が定型を借りて表現するから面白くなるわけで。普通の人が定型でやっても普通なんですよ。〉川野〈そうですね。取り替えの利かないたったひとりの人間の存在感というものが時代的に薄くなってる〉なかなか耳の痛い話。特にお笑いなんかでは同じことを言っても面白い人と面白くない人がいる。当人の持っているオーラのようなものか。ここでタツオが言っている「定型を借りて」という言葉に注目した。定型は借りているだけで、表現されるのは本人の存在そのもので、それが面白い(価値がある)と取った。
⑧「ことば見聞録」タツオ〈パーソナルな部分を出すのを価値が低いと思っちゃうのは結局それが伝承できないからなんですよね。でも僕はどっちかというと伝承はもういいので、圧倒的な個性を見たい。〉短歌と大いに共通点がある。型があるから個性を出せる。優劣が付けにくいところだが。
⑨「ことば見聞録」川野〈歳をとるということは逆に自分にたどり着く感じがするんです。若いころはいろいろ迷って自分がなんだかよくわからない。歳とってきて、やっとああ自分ってこうだなみたいな感じで気が付いてゆきます。〉それを表現に出せるかどうかだろうなあ。若さ無しで。
⑩「ことば見聞録」タツオ〈古典芸能の中には特に見巧者(みごうしゃ)という言葉があるくらい、観客とか評論が新しい表現を発見して牽引していく役割を担っていたと思います。〉川野〈見巧者の前で演じる怖さがいつも芸人を磨くのですね。〉短歌の読者不足から始まり見巧者の話へ。「観客と評論が新しい表現を発見して牽引」という部分に特に興味を持った。見る人の目が肥えていなければその芸能は良くならないということだろう。短歌でも、どれほど読者と評論を持てるかに、ジャンルの方向性や将来性が影響されるのだと思う。
2021.8.29.~31.Twitterより編集再掲