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河野裕子『桜森』2

楠の木の樹冠逆光に暗む中蟬声は蟬声を呼びて鋭し 楠のこんもりした樹冠も、逆光の中で見ると、周りが眩し過ぎて暗く見える。その中で次々と鳴き継いでいく蝉たち。明る過ぎる真夏の光に不穏さを嗅ぎとる感性。「鋭し」の語にそれが表現されている。

死と生のはざまに不意におちこみし蟬かも鋭くこゑは断(き)れたり 激しく鳴いていた蝉の声が突然途切れることがある。死んでしまったのだろう。まさに「断」。夏にはよく見聞きすることだ。しかしこの二句三句から、主体が自分に近い命の死として感受していることが分かる。

紅葉(こうえふ)も肩もあやふくなだれむと不意に擦り合ふ 火の匂ひせり    紅葉の木の樹影と肩の形は同じようになだれている。それに気づき、不意に擦り合わせる。木と自分の肩のことのようでもあり、自分と誰か他者の肩かも知れない。火の匂いは情熱が発動することの喩だろう。

背を向けて答へぬひとよ崖(きりぎし)もその背のやうには夕焼けをらぬ 自分の問いに答えてくれない人。心の通じない苦しさが、その人の背を焼く夕焼けに象徴される。夕日を浴びる崖もそれほどには赤くないと思える、このじりじりとした感情。

2021.6.26.~27.Twitterより編集再掲