『塔』2022年1月号(1)
①吉川宏志「青蟬通信 子規の読者意識」
〈印刷技術が発達して本が手に入りやすくなると、一人で黙読する読書の形が定着し、「近代読者」が誕生するのである。〉読書も読者も近代からの概念だということに驚く。とにかく何にしろ技術の発達が先なのだろう。
〈そうした読者の変容の中で、子規の理想とする歌-さりげない情景を淡々と描写した歌-から、豊かな味わいを引き出してくれる〈新しい読者〉を、子規は創り出さねばならなかったのです。〉文芸を改革するだけでなく、読者の改革もしたということか。子規、深い。
〈短歌においても言葉で描かれた世界を「真物のごとく」感じる読者が求められていた。〉読者の意識をどう捉えるか、作者側にとっては盲点かもしれない。 青蟬通信はここから読めます。
②ひらりひらり女は前を過ぎりたり猛禽類の翼ひるがえし 藤田千鶴 初句六音が読む者の注意を引き付ける。主体はこの女の本性を知っているから、そのように見えるのだろう。猛禽類の羽根の先がひるがえる時、どこか人間の指の先のように見えるのは、私だけだろうか。
③顔黒くうつむいて佇つ向日葵よ黙殺という殺し方あり 大引幾子 種だけになってその重みに花の面を下向ける向日葵。黒い顔になって、他を無視するような印象を受けたのだろう。黙殺は無視だが、「殺し方」と取ったところに主体の抱えている、人間関係の縺れを感じる。迫力のある歌。
④見ないふりしているうちに本当に見えなくなって嘘がかがやく 黒木浩子 自分の心の中の何かを見ないふりをしていた。するとその内に本当に見えなくなってしまった。つくつもりではなかった嘘がまるで本当のように輝く。何が自分にとって嘘か本当か分からなくなってしまっているのだ。
⑤「哀」の字は口を衣で覆へる字つらいよね嗚咽もらさぬやうに 石原安藝子 こう言われてみると本当に口を衣で覆って泣いている人が見えてくる。嗚咽を漏らさぬように、布を強く口に押し付けて。見ている自分も辛くなってくる。「つらいよね」の共感の言葉がそう感じさせるのだ。
⑥げんじつっていったいどこにあるんだろうきゃべつをきざむ刃のひかり 高橋武司 包丁でキャベツを刻んでいる。包丁にあたる光が主体に見えている。自分の動作がどこか自分のものではないような不全感。「刃」の一字以外全てひらがななのが、どこかぼんやりした感じを出している。
⑦借りものの一生(ひとよ)ということしんしんと五体満たして今日もありたり 植田裕子 自分の一生は借り物なのだという感覚。それが静かに五体を満たしている。いつも「今日も」感じているのだ。自分の人生は自分のものではない、という自覚は人を静かに考えさせるのだろう。
⑧鳥影のやうに怒りはやつてきて毀したくなる真つ白き壁 澄田広枝 主体は白い壁に向かっている。そこへ鳥が飛来し、壁に影が映る。一瞬の出来事だ。そのようにふいに怒りがこみ上げて来る。抑えていただけに一度噴き出すとコントロールできない。「真つ白き」の「つ」が強い。
もう無理と落葉のうへに寝ころんで空を見てゐるスペアのわたし/昔むかしわたしのなかにゐたおまへ とほいところで樹になつてゆく 澄田広枝 他にも良い歌のある一連だった。
⑨草に触れ草に切れゆく指先の年上のひと思春期にゐき 千名民時 上句は意味性を持つが、序詞とも取れる。草に触れた時に草の葉でその人の指が切れた。血が滲んだはずだがそれは描かれていない。草に切れる指は二人の儚い関係性の喩だろう。その人へのほのかな好意が一首の背後にある。
⑩待つ間(あひ)は匂はざりしを 踏切のひらくとふつと夜の金木犀 篠野京 まさか踏切の遮断機で匂いが遮られていたわけではないだろうが、遮断機が上って空気の流れが変わったのだろうか。「ふつと」に自分もその匂いを嗅いだように思えた。場面が夜なのが、リアリティを高めている。
2022.2.27.~3.1.Twitterより編集再掲