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『現代短歌』2022年1月号

涅槃西風(にし)けさ東京を浄めたり仏陀は「死後」をついに言わずき 谷岡亜紀 涅槃西風は春の彼岸前後に吹く風。名前だけでも浄められそうだ。下句、その宗教の大きな要素が、教祖の知らぬことというのは他にも例がありそうだ。死後を言わなかった仏陀、に清冽な印象がある。

百年は百年で過ぎ地上には繭のようなる車溢れる 谷岡亜紀 上句、当たり前のようでいて、どこか忘れていたことなのか、読んだ瞬間はっとした。三句以下、車に乗っている人は繭に籠っているように他から遮断されている。そんな車が溢れる現代を時間の中で俯瞰する歌。

③「佐藤佐太郎短歌賞選評」三枝浩樹〈川本千栄さんの『森へ行った日」、塔短歌会・東北の『3653日目』も今年の収穫として指折りたい。〉改めて横山未来子さんご受賞おめでとうございます。その上で選評に自分の名前を見つけたうれしさよ…!励みになります。3653日目も挙がってる。

④「佐藤佐太郎短歌賞選評」
小島ゆかり〈本年は注目すべき異色の候補作があった。それは、『3653日目〈塔短歌会・東北〉震災詠の記録』である。〉
佐伯裕子〈個人歌集には当たらないが、『3653日目』の震災記録も記憶に残るものだった。〉

 個人歌集ではないので、受賞には至らなかったということだろうか。でも討議はされたということかな。『3653日目』はどこかできちんと評価されてほしい歌集だ。その連続性は時事詠、社会詠という用語の概念すら変えるものだと思う。

そこで怒れよという声を聴くぶら下がる木通のような冷たさの声 川上まなみ 怒るべきところで怒っていない点を批判されている。批判している側は、おそらく自分も怒っているのだろうが、冷静で、冷静過ぎて冷たい。「ぶら下がる木通」が冷たさの手触りを伝える。

六月のひとひを会ってそのときは気づかなかったあなたの雨に 川上まなみ 初句の六月と結句の雨が響き合う。相手の心の中に「雨」に相当する、湿度の高い感情がある。主体は一日を相手と過ごしたけれど、その時は気づかなかった。後で分かるとより相手の孤独感が浸みるのだ。

教会はいつかどこかで見たようでわたしはいつから同じなのかな 椛沢知世 教会建築には一定の形式があり初めて見ても既視感があることがある。別の物なのに似て見える。逆に、自分は一人の人格のはずなのに、どこかで変わってしまった、同じものなのに違うと感じている。

旋律の終はりて残るイ短調和音は井戸の闇のごとしも 吉澤ゆう子 音楽が終わった後も残響音が頭や身体の中に響く。音が「闇」のようだ、と感じる。共感覚だろうか。特に「井戸の闇」というと閉塞感の強い、濃い闇を連想する。自分の身体を井戸のように感じているのだろう。

銀鱈をやさしくほぐすその所作で私の骨を拾ってほしい 佐々岡矩実 少し怖い一首。「銀鱈」という言葉の具体が良いと思った。その銀鱈をほぐす箸の動きを見ながら、そんな繊細な動作で私の死んだ後の骨を拾って欲しいと願う。相手に願いをかける、主体の孤独感も浮き上がる。

見ず知らずの人と闇をわかちあう洞窟に目を開く安堵に 東直子 連作の前後からおそらく映画を見ているのだろう。映画館の暗がりを洞窟の闇に喩えている。洞窟で目を開くのは安堵だろうか。自分の親しい人に心を開けず、見ず知らずの人の方が安心感がある、という感覚が現代的だ。

2022.1.2.~4.Twitterより編集再掲