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『塔』2021年6月号(1)

廻りゆく廊の隅ごと目を射るはくれない深き消火器の筒 三井修 古い建物の趣きある廻廊をを歩きながら昔に思いを馳せているのだろう。興ざめな消火器が隅ごとに置かれているのが玉に瑕だ。しかしそれを「くれない深き」と詠んだことで歌の雰囲気が統一された。日本の古い建築は木造だから仕方ないと言えば仕方ないが。それでもお寺とか行った時に本当にあの赤い消火器が目につく。かと言って、木造建築に馴染む色にしたら火事の時に見失いそうだし。

毎朝の「ののちゃん」に我は励まさる 震災もコロナも詠わずにきて 永田淳 確かにののちゃんには時事ネタは無い。それでもはっきりと現代を描いている。時事を詠わない作中主体はそれに励まされている。サザエさんやちびまる子ちゃんは時事ネタが有るためその時代で止まってる感がある。

わたしの方が先に死にそうなほど疲れ休日は寝たり起きたりしおり 荒井直子 父・母・犬の介護をして、自分の方が先に死にそうなほど疲れている作中主体。せっかくの休日も、楽しむには程遠い状態で、身体を休めることしかできない。一連、荒れた言葉に荒れた心が滲む。これが現実なのだ。

体温を忘れあってはそれぞれに流れる川の右岸で暮らす 中井スピカ 「忘れあっては」はお互いに何回も忘れる、ということだろうか。「それぞれに流れる川」からも隔絶感が感じられる。左岸という語にはどこか自由で開放的な印象があるが、「右岸」は型にはまった日常の喩に思える。

胸内の昏さはづかし付箋付けてわたしの歌集を娘読みをり 北島邦夫 人知れぬ胸の内のくらさを短歌に詠んでいる。それを家族に見られる気恥ずかしさ。分かる…。しかも付箋まで付けて。恥ずかしいから自分から見えないところで読んで欲しい。しかし、娘が自分の歌の何が気に入ったのかは、気になる。

⑥前田康子評論「療養所というもうひとつの国」ハンセン病について、歌を豊富に引きながら丁寧にまとめられた評論。伊藤保の「響(とよも)して地震(なゐ)すぐるとき標本壜に嬰児ら搖るるなかの亡き吾子」という歌が心に残った。描写に徹することによって、悲惨さを浮き彫りにした歌。

夕凪の水面の光ひとつずつ彫り込められてたゆたう瀬戸内 佐原亜子 水面=みなも、だろう。瀬戸内海の穏やかな海。しかも凪の時間帯。水面の光がひとつずつ、彫刻刀で彫ったようにくっきりと見えるのだ。沈む前の、横から来る日の光が波によって陰を作っている。風景が眼前する歌だ。

2021.7.21.~23.Twitterより編集再掲