河野裕子『桜森』8
ずっと河野裕子の歌の一首評を書いてきたが、半年ぐらい空いてしまった。またぽつぽつ書いていきたい。大連作「花」。渾身の歌群に圧倒される。
わが胸をのぞかば胸のくらがりに桜森見ゆ吹雪きゐる見ゆ
もし自分の胸のうちを覗けばその暗がりの中に満開を過ぎた桜が森のように立って、風に花びらを吹雪のように散らすのが見える。自分の心の中に潜む情を桜に見立てて詠んだ歌。若くないという自覚が連作の背骨としてある。
ほのぐらき桜の森に棲み待ちて胸乳ゆたかに花浴みゐたる
ぼんやりと暗い桜の森に棲みつき待っている。自分の乳が豊かなことと、花をたっぷり浴びていることを「ゆたかに」で繋いでいる。桜が散る季節は一瞬。しかしこの歌では永遠に続くかのようだ。まず、何を待っているのか。
鬼ニタダ一度逢ヒニキ
ふり向きて吾(あ)を見し刹那眼の中の火群揺れたり見逃さざりき
主体が待っていたのは鬼。すれ違って振り向いた鬼は「吾」を見た瞬間、眼に欲情の炎を揺らした。「吾」はそれを見逃さなかった。「吾」も鬼を見ていた。鬼をずっと求めていたのだ。
にんげんの首にむらむらさわぐ髪 桜森揺るぬくき風あり
身体の中から情欲が湧く。身体に首が生え、首に髪が生えるように。髪はむらむらと揺れ、さわぐ。桜森を揺らしている暖かい風がある。吹くとも言えない、ゆるい流れだ。その風に身体の中の情動が覚まされる。
鬼待テド来ズバ 人ヲ殺ラムト待テリ
夕闇に五指を拡げて近づけり生木(なまき)の桜に手触れむとして
一度だけ逢った鬼は来ない。誰か人が来ればその人を殺そう。主体は指を拡げて桜の木に近づく。桜の生木に、人間の生な身体に触れるように触れようとして。
あらはなる耳なまなまと闇に触れさくらの下に人を待ちをり
顔の中で突出している部分である耳。耳が夜の気配をなまなましく感じながら闇に触れている。主体は桜の下で人を待っている。その人はおそらく主体にとっての鬼。他者であると同時に、主体の中にもその鬼はいるのだ。
ものを言ふ唇も肉 押しあてて花にほのかに熱を移しつ
人を待ちながら、桜の花を持ち、唇を押しあてる。言葉という知を語る唇も肉体の一部であり、肉なのだ。人を、鬼を、求めてやまない肉の熱を、口づけて桜の花に移す。唇の熱さに桜は少しだけ萎れたようになる。
重なりて咲けるおもさにゆふぐれはさくらの繊き首しだれゐる
折り重なるように咲く桜。茎は、花に比べて細く、日の落ちる時刻には、花の重さにしだれたように見える。人を待つ気持ちの強さ重さに、夕暮れになると、身体が耐えられないかのように主体には思われるのだ。
2022.2.20.~22.Twitterより編集再掲