見出し画像

『現代短歌新聞』2021年6月号

①中程昌徳「沖縄からの発信」〈「琉歌」という現状を歌うのは困難だとして見捨てられそうになっている伝統的な形式になる歌の力にも、あらためて注目せざるを得ない(…)〉琉歌を読んでリズムが気持ち良くて、その後読んだ短歌が不自然に思えた経験がある。又読んでみたい。

②安里琉太「創造された風景」〈沖縄でよく見られるヤシは古くから自生していたのではないそうで、あの種のトロピカルなヤシの北限を、沖縄は越えているそうだ(…)沖縄の植生を超える「沖縄」のイメージが欲望され、まなざされてきたことの、その強烈な痕跡がこうしたヤシの風景とも言えるだろう。(…)時に風景というものは、資本主義的な欲望と関わり、ネーションを巡って政治的な振る舞いをするのだと考えさせるられる。〉沖縄のヤシの風景は不自然なものだった。沖縄に南国っぽさを求める「私たちの」視線こそがそうした不自然なものを生み出した。慄然とする文章だ。ぜひ多くの人に読んでほしい。
 以前、佐藤俊彦「桜が創った『日本』」で、単一種の桜に覆われた国土、というイメージが先にあり、ソメイヨシノがそのイメージを実現させた、と言うのを読んだがそれに近い。それに比べて、より外部からの視線重視で、より資本主義的だが。

2021.7.17.~18.Twitterより編集再掲