角川『短歌年鑑』令和3年版
「特別座談会」佐佐木幸綱・松平盟子・吉川宏志・大井学・山田航 コロナ禍における「座」のあり方を考える、がテーマ。
①佐佐木幸綱〈特に全国大会がそうだけど、普段の歌会でも、勉強会だけではなく、祭りの要素が多分にあると思っている。〉そうだよなあ。今年はこれにつきた。歌会でも講演会でもZoomでできるっちゃできるんだけど、「人と会うこと」そのものに価値があるんだよね。短歌だけの話じゃないけど。
もちろん、何も無いより、オンラインで何かできる方がはるかにいいし、そういう意味では、ネットが発達しててよかったんだけど。
②吉川宏志〈一見新しいように見えても、実はもうずっと前から作られていた表現だったというケースって、ありますでしょう。〉歌会は過去の歌を伝える場でもある、と。その表現が本当に新しいのか、過去にもあったのか。過去を知らないと見分けられない。
③山田航〈本当にリアルなしゃべり言葉って何なんだろうと昔から思っていて、口語短歌が本当の口語じゃない、というのが自分にとっての問題意識(…)〉面白い。ここに現代の口語短歌の色々な論点がある。口語としゃべり言葉に深く、肉声に広く、と今後掘ってほしい。
④松平盟子〈詩としての短歌に親しむほどに、必然的な字余りか、韻律への意識の鈍感さゆえの字余りか、なんとなくわかる。〉これは難しい。何をもって必然的な字余りと言うか、あるいは韻律への意識が鈍感と言うか。ただだらだらした字余りとは違う韻律も最近の短歌にはあると思う。
⑤松平盟子〈会が終わったらダベって、その会で言えなかったことをもう一回反芻したい、(…)軽く飲みに行ったりできたら余韻が残る。〉イベントそのものだけでなく、その前後も含めて人に会うということなのだ。歌会や講演会の時間より、その後のお茶や食事の方が長かった、とか。
⑥吉川宏志〈文学においては、現在のコミュニケーション第一主義に対する疑いも、忘れてはならないと思うんです。(…)むしろ文学は、死者と対話する方が大事な面がありますからね。〉これはこれでなるほどと思う。文学だけでなく、あらゆる芸術の分野での錘のようなものか。
2020.12.23.~26.Twitterより編集再掲