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『塔』2021年12月号(1)

内側に向きて開くということのいかなる思い 無花果の花 三井修 内に向かって開く花に心を見せない人を重ねているのか。「~ということの」は形は序詞風だが、対象の本質を表現している。「いかなる思い」という古風な言い回しも一首の雰囲気に合う。

感情が体の上に乾くから言葉が粉になるまでを掻く 永田紅 冬の乾燥肌が粉を吹いたようになる。それを感情が乾く、言葉が粉になる、と表現する。乾いて痒い肌を通して、満たされなず、ささくれ立つ感情が浮かび上がる。痒さ・満たされなさに、肌・言葉が粉になるまで掻いてしまう。

③「青蟬通信 2021年の歌集から」
祝い事無くても外で食事する家族でいたい 息子が言えり 川本千栄『森へ行った日』〈外から見られることで、家族であることを確かめたい不安感は、子どもにはあるのではなかろうか。〉
一首選んでいただきました。ドキッとする評。ありがたし。

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 喜びのあまり写真載せ。他に高野公彦『水の自画像』、川野里子『天窓紀行』、外塚喬『鳴禽』、冬道麻子『梅花藻』、林和清『朱雀の聲』、小島ゆかり『雪麻呂』、山木礼子『太陽の横』、奥村知世『工場』が挙げられています。これらの一首評はここで読めます。
https://toutankakai.com/magazine/post/13136/

肉体に宿るものなど思いつつ貝殻骨を寄せてはひらく 黒沢梓 肉体に宿るものとは何だろう。精神、あるいは…と、読者が思い巡らせるような作りになっている。貝殻骨=肩甲骨を自由に動かせると身体への負荷が軽減できる。宿るもののために、肉体をいつも良い状態に整えているのだ。

ああかつて誘われていた同人誌があったことなどふいに思い出す 片山楓子 したいこと全てはできなくて、何かを手放した。選んだものを後悔するわけではないが、手放した方を不意に思い出し、少し苦しくなる。「誘われていた同人誌」という語が辛い。他人に存在を求められていたのだ。

妹であることをよく受け容れて妹笑う後部座席に 川上まなみ 親子関係よりきょうだい関係の方が性格形成に影響があるのでは?同じ親の子なのに性格が違うのはなぜなんだろう。「妹」の繰り返し、「よく受け容れて」に妹の屈折の無い性格が見える。主体はそれを眩しく感じているのだ。

 「後部座席」もポイント。姉に運転させて、後部座席でリラックスしている。タクシーじゃないんだよと言いたいところだが、それが却って伸び伸びした明るい印象を与えている。

ああ傘を放り投げたい傘のあることで失くした世界を見たい 宇梶晶子 傘があることで、雨風や日射しから護られてきた。けれどもそのせいで見えなかった世界があることも事実。今までは護られる方の利益を優先してきた。しかしもう耐えられない。傘を投げ捨てたいと心が叫ぶのだ。

素足置く床に月光が落ちていてひたひた寄せるかの世のみぎわ 大引幾子 部屋の中に月光が射している。それを「落ちていて」と把握する。月光のゆらめきは波のようだ。そこはあの世とこの世との水際。月光がひたひたと寄せてくる。幻想的な一首。

殺したい笑顔もあって灰皿の底で溺れている紙ふきん はなきりんかげろう 上句に惹かれる。殺したいわけは、愛情の裏返しか本当の憎しみか。水を入れた灰皿の底に沈められた紙ふきん。惨めで汚らしい情景が上句に合う。一首の中で唯一肯定的な語である「笑顔」が異様に浮いている。

輪郭をチョークで描かれぬよう早く立ち上がらねば深夜の歩道から 田島千代 何なのこの無類の面白さ。深夜の歩道に横たわっている。そのままだと事件の死体のように輪郭をチョークで描かれてしまう。早く立ち上がらなきゃ…。発想がブッ飛んでる。結句九音のだらだら感が内容に合う。

遠景でよかった雹(ひょう)の降る朝も植物園もあなたの科も 帷子つらね 全ては結句の「あなたの科」を言いたいための歌と取った。科(とが)はあなたの側にあるが、もう遠景なので私の心が乱されることはない。雹も植物園も冷たいイメージ。植物園は思い出の場所かも知れない。

誰よりも光らせたくて縫いつけたスパンコールの数だけのエゴ 高山葉月 わが子のバレエの衣装を誰よりも美しいものにしたくてスパンコールを縫いつけた。でもそれは親のエゴ。子の気持ちより主体の気持ちが優先された上での衣装だった。一首前に子が「村人役」とある。少し苦い歌。

無言劇「やさしいふたり」を演じ終えそれぞれ帰路につけば夕月 真栄城玄太 触れにくい話題があった。お互いを思いやれば無口にならざるを得ない。会っている間中黙っていてそして労わり合うように別れて帰路につく。お互いそれが優しさを演じる芝居なのだと分かっているのだ。

2022.1.25.~28.Twitterより編集再掲