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『塔』2021年8月号(4)

すこしだけのはずの昼寝は一時間 半島の海沿いの菜の花 樺沢知世 上句は誰にでもよくあることを詠っているが一字空きの後の下句が不思議。これは昼寝の夢に出て来た風景か。起きた時、自分を菜の花のように感じたのか。分からないのだが読者も寝起きの頭で彷徨っている気分になる。

㉔橋本恵美「私の先生」〈この先生、毎日同じ服、靴下も右左の色が違わないか?いつもお腹がすいてる。奥さんいるだろうにな、サイテー。〉からの驚きの展開。この連載が始まって以来一番びっくりした。事実は小説より奇なりを地でいく。何を書いてもネタバレになるのでやめる。ご一読を。

 となりの金井一夫「私の先生」も良かった。こちらは驚きの展開ではないが、じわりとしみる感じ。

ガラス越しの面会なれど手踊りで父はあらはる車椅子にて 与儀典子 久しぶりの面会が嬉しくて父は思わず手踊りしてしまったのか。あるいは、ガラス越しでは上手く表情が伝わらないと思って、手踊りで自分の元気さを主体に教えたのか。この一首以外は辺野古の埋め立てに関する歌。

 自分は元気だ、お前はお前のすべきことをせよ。父はそんなことを言いたかったのかも知れない。沖縄の陽気な踊りに託されたのはどんな思いだったのか。胸に迫る歌だ。

微笑みもあえかな音を生むことを ねえ 水底のひややかな斑 帷子つらね 微笑む時、顔がかすかな音を立てる。それを感受する主体。微笑みの揺れが水底に映る陽光の斑模様を想起させる。一字空けで語りかける「ねえ」は相手に対してというより自分に対して言っているように思う。

函館にいけたらいいね 枯れてゆくときに最も香るジャスミン 中込有美 函館は実際に主体が相手と行きたい場所だろうか。それとも遠い所を示唆しているのか。枯れる時に最も香る花は、関係が終わる少し前に最も相手を近く感じることの喩ではないか。それまでに函館に行けたら、と願う。

タイムカプセル埋めたるむかしいつからかその目印の樹のように立ち 山尾閑 小学生の時に10年後の自分へ、等と手紙を入れてタイムカプセルを埋めた。皆でワイワイとそれを掘り返す日を夢見て。そんな日は来なかったのか。そこに立ち尽くす主体が寂しい。子供の頃の幸福は戻らないのか。

2021.10.1.~2.Twitterより編集再掲