『歌壇』2020年10月号
①映画や本テレビで知りしこの世なり触れて知りたるこの世はわずか 佐伯裕子 今、コロナの影響で生活実感が薄く、世の中の手ざわりが失われてきた……ように思うが元々手ざわりを通じて知るようなことは少なかったのだ。確かに。忘れがちな視点だ。
②尾崎朗子〈コロナによって人とのつながりが断たれたが、もしかしたら、現代人に足りないものは「孤独」だったのかもしれない。〉カギかっこ付きの孤独…。孤独はコロナの前も充分過ぎるほどあったし、今もあると思う。「一人の時間」ということなのかな、孤独であるなしと言うより。
③都合のいいときだけ君の感情をさぐる魚の影草の影 大平千賀 君の感情を探っているのは作者で、君の表情に、魚や草の影のような微妙な陰影を探っている、と取った。「さぐる」が連体形と取ると、探っているのは魚や草の影のような無責任な他者、という読みもできるが。
④思ひよ、僕はどこまで行ける?訊く度に廃船の帆を打つ風の音 佐佐木頼綱 『月下の一群』やそれに触発された時代の詩のような印象を受けた。下句はイメージだと思うが、上句の瑞々しい問いによく合っている。今ここに居ながら、旅情がある。
⑤寺井龍哉「時評」 斉藤斎藤が書いた、阿波野巧也歌集解説について〈阿波野の歌集の解説に必要な文脈だったのか、どうか。〉と疑問を呈している。たしかにこの解説を読んだ時、斉藤の持論の主張が強い印象を受けて戸惑った。評論としての内容に関しては、寺井の指摘は明晰で興味深い。
⑥歩むことなき片方の人生が遠くに蔦をめぐらせてゐる 梶原さい子 もしかしたら、というもう一つの人生を、「片方の」と表したところに納得する。「蔦をめぐらせている」のだから、落ち着いてその場に根を下ろしているのだろう。今の自分をどこかあてどないと感じているのか。
2020.9.28.~10.1.Twitter より編集再掲