河野裕子『桜森』1
しばらく河野裕子短歌の鑑賞をしていなかったが、またぽつぽつ読んでいきたい。心が苦しみに歪む時、河野裕子の歌が私を正しい方向に戻してくれるように思いながら読んでいる。
たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり 真水を湛えて静まる器は琵琶湖を抱く近江(滋賀県、河野の故郷)でもあり、子宮を持つ女性の身体でもある。近江は「あふみ」、逢う身に通じ、これも女性を象徴する。河野短歌初期の一つの頂点である『桜森』巻頭の一首だ。
この鑑賞は短歌を始める前、今から30年ぐらい前に馬場あき子の入門書で読んだことを思い出しながら書いた。河野のこの歌のプロパーな読みだと思う。しかし、その当時は「この歌からそんなことまで分かる訳無い」と思ったのだった。今は逆に『桜森』を開いて巻頭にこの歌があることに、開くたびにびっくりする。
棲みをりし鮠(はや)は一丁の鎌となり涸井戸ふかく身を反りゐるや 井戸に棲んでいた鮠。しかし井戸は涸れた。あの鮠は鎌となって身を反らしているのだろうか。時間の把握が複雑な歌。鮠は確かにいたのか。川魚を鎌と捉える感性を味わうだけでもいいのかもしれない。
逆光に立てるわが子よわれの血を継ぎたる肉のかくも暗くて 逆光の中にいるから、こちらを向いた側が暗く見えるだけなのだが、主体は自分の血を継いだから、わが子が暗く見えると取る。自分の血が暗いのだと。「身体」「からだ」と言わずに「肉」というところに手触り感がある。
2021.6.24.~25.Twitterより編集再掲