『現代短歌』2021年5月号(2)
③川野里子〈フィクションをまったく含まない表現がありうるのかということも考えますね。おそらく事実に沿いすぎたら定型詩にならない。断片的な言葉になるでしょうね。〉フィクションとは何かということも考えさせられる。
高山れおな〈俳句の〈私〉性の問題が短歌にくらべて曖昧でゆるいのはたしかです。(…)近代短歌における作品と〈私〉の不可分の一体性みたいなものとは違いますよね。むしろ名句ほど、〈私〉性ならぬ〈諺〉性が前面に出てくる。〉古歌の詠み人知らず、的な。普遍に到達しているということだろうか。
高山れおな〈「天地狂ふ一日ののちを愛のみの裸形となれるひとの光儀(すがた)や 水原紫苑」なんにせよヒロイズムが気になりますね。要するに震災で亡くなった人の死もただの死なわけですよ。〉こういう身も蓋も無い批評が好きだ。俳句の人から見た短歌ってやはり身振りが大きく見えるのだろうか。
④高山れおな〈季語の核にあるのは倫理的なものとは関係のない美学的なものであり、言葉自体なので、原発事故で汚染されたりする筋合いのものではないとも思います。ある観点からすれば、最初から汚染されてるんですよ。〉この話、怖い。怖すぎて涙目になる。
高山れおな〈(続き)京都のために鄙があるという構造と、東京のために福島に原発をつくるという構造は、基本的には同じなわけですから。〉救いが無い。/川野里子〈確かに季語はもともと和歌のものですね。(…)純粋無垢を装う花鳥風月は本当に恐ろしいとさえ思います。〉短歌は季語を手放した…。
高山れおな〈短歌は複雑な技巧を持ち込むことを俳句以上にやれる一方、技巧的に未熟でもとにかく言葉を定型に流し込んでしまえばテーマの重み相応に伝わるものがあるのでしょうが、俳句ではなかなかそうは問屋が卸さないんですね。〉短詩型の根を深掘りした対談。もっと読まれ、語られてほしい。
2021.4.7.Twitterより編集再掲