瞑想したらココロに蓋をしてきたboxたちの返品が止まらない
私の癖というかパターン化されてきたことは、すぐに感情に蓋をしてしまうということ。
例えば
失敗したこと。
辛いこと。
悲しいこと。
恥ずかしかったこと。
マイナスの感情が生まれたときに、すぐ蓋をしてギフトラッピングしてどこかへやってしまう。つまり『なかったことにする』という、もうこれ反射的に行ってきた。
よく考えたら
嬉しいこと。
楽しいこと。
プラスの感情すら意外と蓋をしてきた。まあこれは『なかったことにする』というよりも、感情をただ外に出さないようにしていたって感じだけれど、これも反射的に行ってしまってる気もする。
なぜ? どうして? いつから?
そうよね、そう思うよね。
でもこれ反応反射的にやってきたことだから、自分ではあまり重要視してこなかったし、そもそもなかったことにしてきたから、蓋をしたBoxたちの存在すら忘れてた。
というか、そんなものもうとっくに捨てていると思ってた。
が、違った。。。。
まさか後生大事に抱えてきてたなんて、という衝撃。
瞑想するときにですね、例えば、負の感情が生まれたところまで深く潜って探しに行くんです。
なぜ? どうして? いつから?
感情を置いてきぼりにしないで、瞑想しながら丁寧に観察していく。これは苦しみの意識状態から解放するための作業です。
いつもはひとつひとつの感情を紐解いていくのですが、今回はどうして私はココロに蓋をするようになったのか、という行動を大きな括りの中でみてみようと思います。
まず、無意識的行動ですが蓋をしてしまう癖があるのは自分でも知っています。これを私はポジティブ思考だと勘違いしてたんですね。
本当は思いっきり落ちてから浮上すればいいのに、落ちる前にポジティブに変換して、持ち直した、ふっきった、ダメージなんてない、そんな自分を演じるためかなんなのか、とにかくすぐ浮上してきた(つもりだった)から、マインド強い雰囲気を醸し出してた。
人前で泣くとか、感情を露わにするとか、弱い人のすることって思ってた。つまり、私は強くありたいと思ってたというか、強いと思ってた。
なぜ?
ね。一体なぜなんだろうか。。。
いろんな苦しみたちは ↓こちらを参考に
蓋をしてきたBoxたちはおそらく、羞恥心、恐怖、不安、後悔、罪悪感などがメインかなと思ってたんです。
羞恥心という根源は、
自分に過度な理想像を作り上げてしまってたから。その理想から離れていると反射的に、「恥ずかしい」と思う。
恐怖という根源は、
こんなことしたら、考えたら、言い出したら怒られてしまうかもという、これまた想像にも関わらずそこから逃げ出したいか反射的反応。
不安という根源は、
自分の描く理想に達しないことへの反応。
後悔という根源は、
ああすればよかった、こういえばよかった、これもまた自分の理想と違う行動をしてしまったことに対しての反応。
罪悪感という根源は、
そうしなければならなかったことに対してできなかったという”ねばならない”勝手な理想を基準にしてしまったことに対しての反応。
全部、自分が作り出した『理想』に苦しみたくなくて、Boxに蓋をしてきていた。一体どうしてそんなに自分に期待して理想像を作り上げてきてしまったのだろうか。。。
これも、そこに「いい・悪い」のジャッジは要らない。「許す・許さない」の判断も要らない。ただ、ああそういう感情に蓋をしてきたんだなと気づけばOK。
とはいえ、原因の追究しないとパターンを創り出してしまう。原因がわからなければまた同じことをしてしまいそうなので、もう少し内観していきたいなというところです。
ここにはまだ行きついてません。遠い道のりになりそうな予感。それもまたきっとやり方があるかと思ったり。そんなとき一緒に伴走してくださるトレーナーが必要だなって思います。
ただ、これまでの人生、毎回こうやってひとつひとつ観察することをしてこなかったので、解析していくのはちょっと面白かったりもします。(この辺は6ハウスステリウムが発動しているのか??)
そして、その自分の勝手な「理想像」で縛っていた人生を少しずつ戻っていくとですね、捨てたと思っていた感情のBoxが怒涛の返品をされてきたのです。
次から次へと、出てくる出てくる笑
え、こんな気持ちなんてあったっけ?と忘れてるくらいなので、きっと蓋をするまでもなかったような小さなことでも、キレイなラッピング状態でずっと持ってた。大事に抱えてた。
本来持ってたはずの自由な感情を忘れて、ずっと閉じ込めてたわけですから、それが返品されたらまあ困惑したり、さらに思考が迷子になります。
で、一旦私も「あぁこういう感情にいっぱい蓋をしてたんだなぁ」と思って手放したと思ってたんですよね。それだけでも若干困惑する感情ではあったのですが、、、
しかし!!これまたびっくり。
ある日、急に真夜中突然、号泣と嗚咽の嵐。自分でもびっくりでなんとも表現しがたいですが、とにかく涙が止まらない。
ついこの間蓋を開けて出てきた感情が「羞恥心」「罪悪感」だったと思っていたBoxの中に、まだもう一つBoxがあったのです。
まさかの二重包装 笑
そしてもう一つのBoxから出てきたのは、「怒り」と「後悔」と「悲しみ」。信じていたはずの人に見事に裏切られていたことに対して、私が一瞬で蓋をしてしまったのがこの感情だった。
この感情に蓋をすることで、私は自分を守りたかったのか、なんなのか、まだこの闇は深そう。でも、とりあえず二重包装というトラップを発見できた。
かわいそうすぎる。。。私のココロ。
本当は激情する気持ちをぶちまけたかったのに、どこか平然を装って、取り繕って、蓋をして、さらにその感情を別の感情を上書きしてBoxに丁寧にしまい込んで。
20年も抱えてたBoxが返品されてきただけでなく、まさかのトラップ仕掛けだったなんて。一通り泣きはらした後は、なんだかスッキリしました。
やっとその感情を世に解放してあげれた感といいますか、「ごめんね私」しか言葉がでなかった。
自分の気持ちなのにどうして蓋をしてしまうのでしょうね。こまったものです。そしてそれが無意識に行われていることだから、さらに怖い。
この「無意識の意識化」から始まる瞑想の世界。すぐに蓋をしてしまう原因も瞑想していけばきっと見えてくるのだろうと思いながら今日も瞑想をしてみます。