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10K走りながら足腰はボロボロだったけど、マインドのパターンを深堀りする余裕はあったよのお話

2025年 大阪・関西万博が開催されます。
「一度限りの記念マラソン大会」という『限定』の誘惑にのせられて申し込んだ”開幕100日前イベント”

2Kのファンランかと思っていたら、姉が申し込んでいたのはまさかの10Kだったことがわかったのは、11月。
あと2か月トレーニングすれば大丈夫だろう。。。昔ホノルルでフル完走したことあるし(、、、というのも30年も前のことだけど)

11月はとりあえずウォーキングから始めようと毎日夜歩いてたけど、正直距離感はよくわかってない。だいたい1時間くらい歩いてた程度。

そして、12月。
いよいよ走り込みもしないと…と思ってはいたけれど、夜は激寒だし、なんだかいろいろと遠征予定もあって、ほとんど歩くことも、走ることもせずに、終わった師走。

10Kの感覚すら知らないまま、とうとう当日を迎えてしまいました。甘くみすぎよね。

超快晴で気持ちだけは上がる
送迎バスとか
コンテナの移動トイレとか
荷物の預かりとか

運営の素晴らしさに感動してスタートした当日。日本のマラソン企画ってすごいのね。ホノルルとグアム5Kしか知らないから、こんな至れり尽くせりの大会に参加したことでもういろいろ裏側を知りたくて誘導とかもめっちゃ参考になった。

今回の会場はまだ大阪メトロが開通していない夢洲だったので、送迎バスがあったのね。スムーズな誘導に感心しながらバス移動して会場へ到着。

一応ウォーミングアップはしていよいよスタート。
午前の部は1600名くらいの参加者だったようで。
もちろん”歩く気全開”だった私は最後尾グループで待機。

と思いきや。スタートしたらみんな一斉に走り出す!!

とりあえず、最初の1Kくらいははしれるかな~と思って、走ってたら見えてきた建設中のパビリオンたち。それだけでもちょっとワクワクしてきた。

大屋根リングと呼ばれる外枠を観ながら、その逆側はまだこんな感じ。

IR予定地はまだまだ更地
え、もう対向車線には先頭ランナーが??
この坂上るのか。。。泣
上からいっぱい人がやってくる

人工島「夢洲」と「舞洲」を結ぶ夢舞大橋を走って渡れるなんてことはもうないだろうから感慨深いけれども、おそらくまだ2Kくらいしか走ってないのに、めっちゃ息が上がる。

ちょっとこの坂しんどいんですけど泣

やっとの思いで渡ったかと思ったら、そこには折り返し地点。すぐまたこの橋を上らなければならない辛さ。
しかし、この先に時間制限の関門があり、果たしてそれに間に合うのか?くらいの最後尾グループでゆっくり走っていたけれど、、、

果てしない折り返しからの道のり

ギリギリ関門は通過。
ということはもうゴールまであと少しかな?と思いきや、ぜんぜんそんなことはない。だって途中に「あと何キロ!!」という表示がない。

え、あとどれだけあるの??
橋を上って下りてしてきたらまあまあの疲労感。
もう終わり?と思ってからが長いのがマラソン。

思わず、サイトを開いてコースを確認しました。

え、、、、まだ3キロ以上あるってこと??
現実みたら余計萎えたけど、見なかったらどこまで続くのかわからない不安でメンタルやられる。

そうなのです!!

私の思考のパターンとしては、全体像が見えていて、そこから逆算して動く、そうすると安心なんですよね。知っている方が、安心。まあ誰しもそうなのでしょうけれど。

知らなくて飛び込むことも多いけど、いわゆる「チャレンジ精神」といやつ。これは好奇心に後押しされているので、ある程度勢いで進める。

だけど、進んでいくうちに

いったいどこまで続くの?
どれだけやれば終わるの?
今の私の現在地はどこ?

ある程度の状況が把握できていないと、一気にやる気が失せてしまうというパターンに陥りやすい。

とはいえ、楽しめていれば、しんどいこともなくどこまでだって続けて行ける。逆にそのプロセスを楽しめなければ、途中で諦めることもある。

つまり、先が見える見えない、ではなくてその時間を楽しめているかどうか。なのだと走りながら考えてました。

足元はフラフラで股関節も痛いし、足首も痛いし、だけど歩いてでも、ゴールはしたい。なぜなら、完走はしたいから。

そこで、走りながら今の自分の中の苦しみをみてみました。

不安
あと何キロという表示がないから、終わりが見えない不安に囚われて投げやりになった瞬間があった。
あと何キロの表示があれば、ペース配分というか、あともうちょっとで終われる!というゴールがみえたら頑張れる。じつは未知の部分に対して不安を感じやすい私。

後悔
練習してないけど何とかなるだろうって思う過信。(ホノルル走ったのなんて30年前のことなのに)なんとかなるわけないやんとわかっているけど、準備不足の言い訳を考えて、練習しなかった自分に後悔してた。

羞恥心
自分よりも年配の方が颯爽と走っているのに、私が走れないなんて、という恥ずかしさを回避したいから、とにかく最後まで走る!という苦しみまみれ。自分と闘う前にやっぱり外側に意識が向いていた。

執着
執着ってほどでもないけれど、「限定」に流されるパターンが多い気がする。経験したい欲求という名の執着は、その日限りとなるとなおさら大きくなる。

そうか。こんなにいっぱいの苦しみの中で走っていたわけなのか。
そりゃあ最後歩きたくもなるよね。もう少し楽しみながら走れてたら、たぶん痛みもないだろうし、経過を普通に楽しめたはず。

過去に後悔してみたり、未来が見えない不安にかられたり。今、この瞬間にいなかったんですよね。

でもあと少し。この角を曲がればゴールだ!!
思うと足取りが自然と軽くなる。人間って不思議だなとつくづく思います。

最後尾グループの数名のために沿道で声をかけてくれるスタッフの皆さんの声がなんとも温かくて。私もあんな風に声をかけてあげられる人で在りたいと切に願いながら、最後頑張って走り切りました。

とりあえず完走はできました

姉は、参加者であることを楽しむことが好きな人。
私は、応援する裏方として楽しむことが好きな人。

だから、写真を撮る目線が全然違ってこの対比がすごく面白かったです。
いろんな角度から自分を見ることもできたし、ただただ筋肉痛になるためだけに走ったわけではないし笑。得た経験は十分ありました。

裏方をするには、参加者の目線を知っておいた方がより役に立つこともあるし、今回体を張ってそれを学べた気がします。

準備も、ペース配分も、段取りも、すべて大事なことだけれど、それよりもやっぱり「今この瞬間」をいかに楽しめて感謝できるかなんだなと思います。

お天気も良かったし、寒くなかった。これだけで十分幸せでした。これ寒かったらもう苦しみが爆発してたかもしれません。

帰ってからお風呂に入ってマッサージして爆睡。
素晴らしく健康的な2025のスタート。

いろんなところに潜んでいる苦しみをこうやって(走りながらでも)観察できるように習慣化でき始めたのかと思うと、ちょっとは成長できているのかもしれないなと感じた年始早々のマラソン大会のお話でした。

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