チセイ×ノ×チガイ
内田樹さんのツイにビビッと来たお話。
私が好きな人は知性にあふれる人たちです。
そんな人に私は昔から憧れています。
昔は知性と言う言葉のイメージをぼんやりとしか
とらえていませんでした。
今は、感覚としか思えないような物に言葉を与えて
語ることの出来る人だと思ってます。
これは「本当に賢い人はわかりやすく説明する」理論
(そんな理論は無い)と同じでしょうか。
わかりやすく説明された人は、「わかった」つもりになる。
それが【知的パフォーマンスが上がった状態】なのでしょう。
そんなことを考えていると、ふとHUNTER×HUNTERを
思い出しました。カナダに来てから見始めたアニメ。
これが想像以上に面白かったのです。
(特に興味深かったのはキメラアント編)
カンチガイ×ハ×マチガイ
この知的パフォーマンスが上がった状態は、さしずめ
『ラモット』状態とも言えるでしょう。
自分に「何か分からない凄い力」が付いたと勘違い
したまま使われる。
ゴンとキルアを育てた先生達(ウイングさん、ビスケットさん)
は念能力を理解して、具体的に説明出来る「知性的な人」クラス。
でも必要な時しか助けないと思うので、「知性的な人」とは
言えないかもしれません。
そう考えると、内田さんの言われる「知性的な人」とは
にじみ出る才能のような物かもしれません。その人が意識しようと
せずとも、醸し出される知識豊かでありながら前向きな念こそが
「知性」と呼べるのかもしれません。
じゃぁ、ゴンが知性的な人・・・・?
チセイ×ト×カンジュセイ
ここで、似たような言葉が頭をよぎりました。
知恵、知識、知能です。
どれも似たような・・・・(めんどくさい)
この記事を見て、もう少し自分なりにまとめてみました。
学校教育では、知識(暗記)が中心となり、知能で評価されます。
先生によっては知恵の使い方を教えてくれる人もいるかも
しれませんが、知性とは誰が教えてくれる物でしょうか。
それは、個々備わった物である部分が多いような気がしますし、
自分がどうなりたいか!?が問題となるような気がします。
後天的に知性を身につけるならば、その方法は、やはり
読書しか無いと思うのですがどうでしょうか。
読書は、その世界を通じていろいろな体験を読者にさせくれます。
その中で読者は、いろいろなことを感じ取ります。
そこでは必ず目に見えない何かが手に入ったはずなのです!
ふわりふわりと漂う念のようなものが。
念は才能です。
使い方を知らなければ無いも同然です。
でも、磨きに磨きを重ねた念は、何かがきっかけで発動します。
ちょうどコムギちゃんのように。
でも多くの人は何を感じ取ったか気がつかないかも知れません。
さらに目に見えない念能力は、適切な師匠に会わなければ
コントロールできません。
生きた人間の師匠に会えることは、まず無いでしょう。
それは奇跡です。でも、そういう人がその道で大成しています。
まさに、レアモノですねぇ。
ノート×ノ×ノート
私は、noteを通じて、日々、才能豊かな念能力者から色んな事を
学ばせてもらっています。
それは、最初、つけたての香水のようなものかもしれません。
でもそこからもらった念は、きっと私の文章の中でラストノートの
ように香る事と信じています。
多くの人から学ばせてもらったラストノートの香るnoteが書けるような
念能力者に・・・私はなりたい。
遊びのような文章でしたが、最後まで読んで下さり
ありがとうございました!