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92歳一人で病院、ATMへ行ける頭脳明晰な母の健康の秘訣①


家族の紹介

昭和7年生まれの母は今年92歳。

私たち家族はもともと4人でした。父母と私と姉。

中学で生徒会長をするような優秀で美人だった姉は、静岡の大学を出て
図書館司書の資格取得後、諏訪へ戻り市役所職員として図書館に勤務。

実家近くの同級生の元へ嫁ぎ、2女をもうけ、それはそれは絵にかいたような美男美女の幸せ家庭を過ごしていました。

私は姉が地元に帰ってくれたことで
「これで両親の老後も安心」と思っていたところ

二人目の子供を産み落としたとたんに体調不良となり
開腹手術をした時には手の施しようがなく、30歳でスキルス胃がんでした。
あれよあれよと細く骸骨のようになり平成元年に亡くなってしまいました。

この日から10年以上、我が家はお通夜のように過ごしていました。

どこに何を言ってこの悲しみ、やるせなさをぶつければよいのかわからない時間が続きました。
特に母は我が子が先に逝ってしまう不幸。
暗闇から立ち上がれないようなダメージをずっと心に持ち続けていたでしょう。

次に父が2006年に他界、
父の最後の言葉が「千奈美(長女)は残念だったなあ」
以来、母は寒い長野県諏訪市での一人暮らしとなって16年が過ぎます。

よって、家族の中で母と私が残されました。

私は大学は京都、その後就職の保証人もいない京都から脱出し、
東京暮らし。
東京のOL、派遣社員を経て会社経営者の道へ
今では東京暮らし40年以上です。

今でこそ、中央自動車道を飛ばして毎月帰省しますが、
父が亡くなるまでは、海外旅行や国内旅行で忙しく、年3回くらいの帰省。
長期間実家に滞在することなどありませんでした。

母は恐ろしくしっかりした92歳。歩けるし、記憶力も抜群。
87歳までは、特急の乗車券を購入して新宿まで特急あづさに乗りお正月は出てきていました。
よって私も高齢者扱いをしたことがありません。

一人暮らしの母「肝臓から出血し肝臓癌の疑いがあります」

2023年の夏、私の携帯に
日赤の若い医師から
「お母様は諏訪赤十字病院(日赤)に救急搬送されました。
どうも肝臓に腫瘍があり、それが破裂して出血したとみられます。」と、連絡が来て、心臓が止まるほど驚きました。

母が肝臓がん?初めて聞く病名です。
毎月かかりつけ医に通っていたのにそんな兆候はありませんでした。

ところが入院から1週間経って、内臓のCTを取ってみると
「腫瘍は見当たりませんね」
医師も首をかしげています。
腫瘍は消えてしまったというのです!何だったんでしょう??
ほっとしました。

でも内蔵から出血していることは確かです。
出血が引いても一人ぐらしでも困らないように、入念にリハビリをして、2か月以上入院しておりました。

通常2ヶ月以上入院すると、筋肉の衰えだけでなく、
80歳過ぎは頭も心配と言われています。
刺激の無い生活は,人をぼけさせるのに十分です。

日ごろ、体も頭もクリアでしっかりしている母。
この入院で一気にダメージが来るかもしれない、と覚悟しました。

このときに初めて「介護申請」をすることになり
初めて使う介護保険。「要支援」に認定されました。

ああ、困ったどうしよう。
一人暮らしはさすがにこの先むずかしいだろうなあ。

自分の仕事はどうしよう。
諏訪へ拠点を移そうかな、
そんな考えがよぎり、ケアマネージャーに「介護の基本」「介護申請」などを教わることに・・。

退院後は,週に1回ヘルパーさんが来て入浴など手伝っていただいておりましたが、家に人が来るのはストレスらしく
週に1回のデイサービスへ通うようになりました。
手芸をしたり,皆さんとおしゃべりして楽しそうです。

一月もするといつもの散歩して、近くの温泉へ行って、食品を生協へ注文しての生活に戻りました。
通常の生活に戻れた様子で、ああ、一安心、胸をなでおろしました。


昨年までの母のスーパーばあちゃんぶり


それまで(90歳まで)は
一人で大きな総合病院(日赤)へ行けるのです。
タクシーで行き、総合病院の受付機にカードを入れて
6番へいってください、次は11番で血液検査を・・・。
と病院の中はどこへ行けばわからない状況なのに
一人で行けるのです。

日赤の医師は、さすがに90歳過ぎの母が一人で検査に行って結果を理解するのは難しいだろうと判断し
「ご家族といらしてください」というようになり
昨年から私が付き添いで同行しています。

私が母から、一人で総合病院へ行った話を電話で聞いて
「お母さん千由紀に言ってくれれば一緒にいくのに」というと
それくらい一人でできるわよ
と簡単に言います。

人に頼らないのです。

日常生活に不自由なことはないようです。
コンビニのATMで預金を下ろすことができ、
さらに病院から届いた請求書をコンビニで支払うこともできます。

1キロ離れたスーパーで買い物をして、自転車に荷物を乗せて(自転車には乗らない)帰って来ていました。

92歳といっても、誰も信じてくれないようなスーパーばあちゃんです。

「大動脈弁狭窄症」手術することに



日赤病院で不整脈で心臓の検査を受けたところ
「心臓弁が大分厚くなっているので、TAVI手術を受けた方が良いね」と循環器内科の先生に言われ、
本人は自覚がないのですが、私が手術を奨めました。

TAVI手術はカテーテル手術なので
〇高齢者でもダメージがほとんどない

と聞き、
一人暮らしの間にヒートショックなど起きて
は大変と思ったのです。

病院で看護師や医師に絶賛される

今夏心臓の「大動脈弁狭窄症」のカテーテル手術を予約。
検査、血管にステントを入れてから、一月後に手術入院と2ヶ月に及びました。

入院に当たり検査やオリエンテーションがあります。
初めてお会いする看護師さんは、母の生年月日を見て驚きます。

「大和さん一人で歩けるの?しっかりしていらっしゃる」

「私の目標だわ。何を食べていればそんなにお元気で居られるの?

医師に至っては
「行動が早いね。頭もはっきりしているし、こりゃすごいわ
と皆さん絶賛です。

手術は2時間程度で終了し、痛いところも全くないと言ってリハビリに移行しました。

リハビリ担当の先生も
「大和さん、もうしっかりしているから退院していいわ」と予定より1週間早く娑婆に出てこられました。

退院直後に孫とひ孫と

周囲の同年代のシルバーは、一人で病院へ行くどころか

・認知症になりひとりで外出できない
・杖がないと歩けないか車椅子
・病院へ行っても、機械なので受付から精算までができない

という状況です。
それを母は90歳になるまでひとりで行けたのです。


私は暑さで沸騰する東京を抜け出して、諏訪滞在。
仕事はZOOMオンリー
朝窓を開けると東京と違って、新鮮な空気と鳥の声で「爽やかな朝」を体験してディスカバリー諏訪を体験。

病院へ行く以外は、高原ゴルフ、温泉三昧の避暑生活をしていたら、
母のお陰で私まで健康になりました。


蓼科ゴルフ

92歳が健康で元気な秘訣①

皆さんが私に聞いてくるのは、
・なぜ母がぼけずにしっかりしているのか?
・入院したのに支えもなく一人で矍鑠と歩けるのはどうしてか?
・どんな食生活をしているか?

私が、周囲の施設へ入った叔母などと比較して見ると
自立心が強い
これが1番の要因だと思います。

「お父さんに任せておけば安心」
「子供が頼りになるから安心」
と言った依存心がありません

日頃は、私のところに電話もかかってきません
自立心がものすごくあるのです。

以前も私がたまたま電話したときに
「数日前から頭が痛くてお医者さんに言ったら帯状疱疹っていわれて、頭に帯状疱疹ができていたのよ。痛くて眠れなかった」
こんな大事も、私が電話をしないと報告がありません。

この時は、私が近所に住む同級生にLINEして
母のお見舞いに行ってもらったほどです。

母は,介護申請の更新までいつの間にか自分でしていました。

私が退院後の体調が心配で電話を毎日すると
「そんな、毎日電話してこなくていいわよ」
とまで言われてしまいます。

秘訣その②毎日40分歩く

母は,今でも午後3時から毎日40分程度散歩をします。
そんなに早くは歩けませんが、
ゆっくりと近所を散歩をすることを日課としています。

散歩しない日は、600メートルほどの共同浴場へ温泉に入りに歩きます。
往復1.2キロは歩くことになります。

足腰がしっかりしている、認知機能も正常、と
リハビリの先生に「大和さんパーフェクト」と先日も筋力テストで褒められました。

元気でいる秘訣は
日頃の生活を人任せにしない、自分のできることは自分でする
歩く、筋力を落とさない

介護も必要なく、高齢でありながらしっかりしている母、
本当にありがたいなあ、と心から思うのです。

続き 食生活など②を書きますね

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