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【読書感想】「死を見つめる心」 岸本英夫 (講談社文庫)

健康をほこり、日々の生活を楽しみ、美しく着飾って、上品な立ち居振る舞いをしているつもりのこの自分に、そのような(死の)恐るべき苦しみ、醜さ、あさましさが、黒い大きな口を開いて待っているのである。
そこで、死に至るまでの病の苦しみさえなければと、人々は考える。それさえなければ、死も、それほどこわいものではない、とすら思う。
しかし、その考え方は、まだまだである。それには、また、問題の混同がある。死に至るまでの苦しみがあまりに激しいので、それを、死そのものの苦しみとを、混合しているのである。

死は、突然にやって来る。思いがけない時にやって来る。いや、むしろ、死は突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、突然に来たとしか感じないのである。生きることに安心しきっている心には、死にたいする用意が、何もできていないからである。現代人の場合には、ことに、そうである。平生、死を全く忘れているだけ、死に直面すると、あわてふためいて、なすところを知らない。

昔、カルト宗教の人にこの本のくだりを教えてもらい、とてもぞっとした…

普段生きている我々が、死について色々考え話すのは、食べ物の好みを「あれは美味しい」「こういうのは不味い、、」などあれこれ言っているようなもの。
本当に飢餓状態になったら、好みのことなどどうでもいい、まるで次元の違う欲望になるように、死が本当に自分のこととして身に迫って初めて、「生存欲」という激しいものがあったことに気付く。

それは、肉体の苦しみ、恐怖の更に向こうに、もっともっと大きく存在するもの…

水木しげるさんも、戦地からどうやって逃げ帰ったのか、全く記憶がないとあった。もう、理性、頭で及ぶものじゃないんだろうと思う。
嫌なことがあるとすぐ死んでしまいたいとか言っていられるうちは、余裕があることなのかも、と思った。

カルト宗教の人に、この本を知るきっかけをくれたそのことは、とても感謝している。

でも、この本を最後まで読んでみて、「あの教団の人はちゃんと全部読んだのかな?」と疑問を持った。

岸本先生の、とても正直な死に対する恐怖の文章は生々しく身に迫るし、たくさんの手術の話などは辛く、怖くなるけど、その中を自分をごまかさず大切に生きる姿勢、なんて見事な人生の仕舞い方だと、遺族の方のエピソードも、素晴らしいなあ~と希望が湧いてくる内容だと思った。

私は、予定などを書き込んでいる、毎日開くカレンダー手帳に、残り寿命を10日ごとに書き込んでいる。
人間の寿命はおよそ3万日で、私は今、これくらいじゃないかとつけ始めてから、2000日くらい減った。
生きている時間は有限だという意識を少し、強くできる気がする。

自分にもしものことがあった時、葬儀や墓などについての自分の考え希望、財産書類関係のことは、遺言書も書いて家族に伝えてあるし、これができているのは、本っ当〜に気が楽になった安心感。

でも、死に対しての備えがあるから大丈夫、じゃない。
いざとなったら、やはり慌てふためくだろう。

だからと言って、何もしないのがいいのじゃなくて、できるだけ現実的にしておく方がいい。
必ず死ぬことを意識して生きること。
それでも怖いし慌てるだろう、いつだって途中だろう、ということも覚悟して。

中に何が入っているかも忘れている、長いこと触ってないダンボールなどがないというのは、こんなにもな安心と満足感♪

自分の持ち物を使うという当たり前のことは、実は高度に難しい技術。

これからも、生きている間は、何巡も何巡も持ち物を目通ししていけば、もっと自分の持ち物と時間を使って、今現在、普段が楽しく豊かになるし、自然に終わりを迎えるものを感謝で処分できる。
そしてこれはそのまま、自分の終末への準備になる。



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