子どもと一緒に楽しく夢を叶える
顔を見れば「おむつ取れた?」と言う人。
そんなことしか言うことないんか。。ヒマやな〜、、とウンザリする。
なぜそんなに急ぐんだろう?それが少しくらい早いから、遅いからって何?
「もうひらがな書ける、卒乳した?、もうスプーン持ってる、あの子は一人で歩いてるよ…」
誰でも気になるものだろうけど、そんなことにエネルギー使っていたら、本当に注力しなければならないことに向ける時間も体力もメンタルも消耗してしまう。
正常に発達しているなら、嫌でもできるようになることを、はやくはやくと自分でストレスにする。
育児で大変だ大変だと言っている実際が、こういう自分で作り出した、必要のないストレスで苦しい苦しいと言っている人、多い。
「おむつとれた?」のような無思慮な他人の言葉は勿論不快だけど、一歩引いて見ることをせず、振り回され過ぎな人、多い‥
一番可哀想なのは子ども…
成長とともに自然にできるようになることでなく、親がしっかりついて教えてあげなければ、大人になれば勝手にできるようになることじゃないことはたくさんたくさんあるのに…
親も後で子どもが大きくなってから、「何をあの時、あんなに躍起になっていたんだろう。。可愛い盛りだったのに、もっと楽しく過ごせば良かった」と後悔することになる。
赤ちゃんはなんでも口に入れようとする。
小さい子どもは、まずかぶりつこうとする。
これって、とても大切なことだと思う。
ちっちゃい子どもの背丈ほどもあるフランスパン。切り分けてないカステラ一本、ホールケーキ、でっかいバウムクーヘン…
子どもがワクワクと近寄ってきたら、できるだけ、子どもがしたいようにまずはそのまま、かぶり付かせてあげたほうがいい。
この時の、子どもの満足そうな顔、体験は、その後に大きな良い影響がある。
はじめから「お行儀良く」させようとせず、食べやすいように切り分けるのは、それから。
特に日本人は、りんご、トマト、きゅうりなど、丸齧りの少ない国民だと思う。私は日本人のこういう「変に過保護、お上品」なところは好きじゃない。
歯の発達にも大きく関わる。それは脳の発達や全身のバランスにも繋がっていく。
私は子供の頃、学校で国語辞典を使う学年になると、今まで「~って?」と、親に聞けば教えてくれたことが、突然「自分で辞書で調べなさい」と言われるようになり、辞書なんかないほうが良かったと思った覚えがある。
自分で辞書引いて調べるのは大事だけど、はじめは、親も一緒に調べて、辞書を引く楽しさを、親と感じることが大事な気がする。
大人でも、辞書引いたり、検索して調べると、勘違いで使ってる言葉に気づいたり、こんな意味があるのかという新しい発見があったり、自分では意味がわかってるつもりでも、人にうまく説明できなくて、こういう言葉で説明すればいいのかという発見など、結構ある。
子どもとこうして一緒に、ちょっとした勉強をする時間は楽しい♪
ネット、スマホの普及で、すぐに検索、辞書機能を日常的に引く生活ができるようになったのは、とてもいいことだと思う。
自信って、誰かより早いとか、誰に勝ったとかじゃなく、未来の自分に少しずつ贈り物をしていくことだと思う。
夢を叶えていけるかどうかは、「書く・見返す」をするかどうかにかかっているとつくづく思う。
「重要なことは、どのような望みを抱くかにあるのではなく、抱いた望みを忘れないことである。
つまらぬ望みを抱くことを恐れる必要はない。真に恐れるべきなのは、あまりに多くのものを望みすぎ、何を望んでいたかさえわからなくなってしまうことだ。」
という言葉を聞いたことがある。ああ、本当にその通りだと思った。
せっかくの望みが、埋もれて忘れて使えない状態。。
日頃から、自分の持ち物に少しずつ目を通していく意識って、ここにも必ず繋がる。「真に恐れるべき」状態を防ぐ力がある。