【映画感想】あゝ野麦峠(1979年)
中村久子さんのお母様も、このように亡くなったのだろうか‥
私がこの映画を見て思ったことの一つ。
明治、大正の富国強兵の頃、日本の生糸は重要な輸出品だった。長野県の岡谷、諏訪の製糸工場に、岐阜県から貧しい農家の多くの娘が、険しく危険な野麦峠を越え、出稼ぎに来ていた。
原作を読んだのは10年くらい前、映画を見たのは昨年のこと。画像は、主人公「みね」の大竹しのぶさんと兄役の地井武男さん。
ほとんど監禁状態の過酷な労働条件の中、有能で業績を高く上げた工女は、その高給から「百円公女」と呼ばれ、「しんこ(新人工女)」の憧れだった。
ついに百円工女にまでなったみねは結核にかかり、厄介者になった途端、親族に急ぎ引き取りに来るよう連絡が入る。迎えに来た兄は、工場のずさんな扱いに怒りを堪えながら、体よく追い出される形で、一人でも大変な野麦峠の雪道を、妹を担いで歩いていく。みねは、故郷に辿り着く前に死んでしまう。
主人公だけでなく、多くのしんこたちの悲惨な展開があり、とても辛い映画だった‥
中村久子さん(1897〜1968)は、岐阜県高山に生まれ、幼いときに特発性脱疽で両手両足を失い、多くの困難に遭いながらも、ヘレンケラーと実際に会って「私より不幸な人、そして私より偉大な人」と言われた、壮絶な人生を生き抜いた方。
手足のない久子さんのことを聞きつけて、見せ物小屋から誘いが来るようになり、それを追い払って、我が子を離そうとしなかったお父様は、幼い久子さんを残して、突然死されてしまう‥
夫を失って、失った手足の痛みに昼夜の別なく泣き続ける久子さんを、近所迷惑にならないよう、夜更けに背負いながら暗い川の流れる橋の上に来た時、お母様は子ども諸共、このまま身を投げることを思ったらしい
生活に困窮し、久子さんのお母様は一人、長野県の製糸工場に働きに出て、そこで過労のために亡くなってしまう‥
どんなに久子さんのことが気がかりだったろうか‥