生き残るマンモスー就職氷河期、リーマン、コロナー 4. 天国と地獄、ボーナスとセクハラ
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潰えた夢と、そしてボーナスと
最短3ヶ月から1年程度の派遣をつないで絵を描く日々を維持していた数年間、ブレイクもなく最終的にはゴーストイラストレーターまでやっていたのだが、それでも絵を描いていられただけ幸せだったと思う。
けれど、前回の「生き残るマンモス3」でトップ絵にあげたように、この頃の表情は非常に暗い。ハムスターなどがケージ内で運動するための回転する器具があるが、この頃わたしのメンタルはぐるぐると回るだけだった。
走っても走っても1ミリも前に進まず、ただ疲労して休む。そしてまた走るだけで、一歩も進むことはできない。
いつまでこの先の見えない状態を続けるんだろう、と考えだせばキリがなかった。この頃にもしも何らかの形で副業を本業にすることができていたらよかったのだが、そう甘くない。
絵を描いていきたいと最初に本気で思ったのは、高校一年の時に描かせていただいた金子みすず詩集のイラストがきっかけだった。鉛筆で小さく子供達と季節のこまかなものたちを描いていた。淡い水彩の、やさしいあどけない表情を描くのが得意だったのだが、「売れるために」依頼されるものに合わせて描くようにしていった結果、最終的にわたしは私の絵がわからなくなってしまっていた。
描こうと思えば描けるのだ、いろんなタッチの絵は。
そして完成して提出した時にクライアントの笑顔が見たい。
その想いは間違いではないと思う。思うけれど、ゴーストまでやるようになると、有名な方の絵柄で市場を出回っていく方がお金になる事実も突きつけられた。
「わたし」の絵ではお金にならない
だけど、他人の絵柄を描いているうちに、「わたし」の絵がどこかへ行ってしまった。何より描いていて楽しくなかったし、ギャラが振り込まれる時だけ、少し気分が浮上するくらいだった。
なんのために描いているのだろう、と自分の絵を無くした現状は悲しく重い岩のようにメンタルを病んでいった。郵貯5万円で無職の時でも病まなかったメンタルが、絵を無くしたときに壊れた。
だがその話は、そんな時に舞い込んできた。
絵本の作画依頼だった。
浮上できないメンタルだったが、出版社から「この絵を作者の方が気に入って」と言われた絵は最初期に描いた雨降りの絵だった。黄色いカッパをきた女の子が、猫を抱いてこちらを見ている構図の、悲しさと優しさが入り混じるような淡い色の絵。
「わたし」の絵を気に入って依頼をしてくれた、それは本当に嬉しくて、落ち込んでいた気分を上げてくれた。
けれど、この仕事は一筋縄では行かなかった。当時まだアナログ絵が主流の時代で、絵本にするには30枚程度の絵が必要だった。ラフを起こし、OKをもらい、絵の具をのせて仕上げていく。その工程の中で私は手を壊した。
紙と絵の具というアナログなので、当然ながらラフ以降の大掛かりな修正は描き直しということになる。なのでラフが非常に大事になるのだが、この絵本はラフで出版社と作者のOKが出て、仕上げのOKが両者から出ても、その数日後に「作者のご主人がNGを出した」と全面描き直しになってしまった。それが、ほぼ全てのページで発生してしまい、約30枚の絵に対して100枚以上の完成絵を仕上げることになってしまった。
さらに通常の3倍以上の時間をかけているため、当然だが他の仕事は進められず、右手は腫れて腱鞘炎を起こした。ただの腱鞘炎ならいいのだが、私の利き手は見た目にはわからない神経障がいを持っている。
右手首から先が3倍に腫れ、ペンを持つことも筆を持つことも、何もできなくなった時に、担当者にもう描けないとかけた電話は今でも覚えている。
彼女がどこまで理解していたのかわからないが、あの時の私が言いたかったのは「2度と描けない」だった。
そうして、そこから私の右手は絵どころか文字も線も満足に引けない状態になった。
理学療法など治療法はあったのかもしれないが、受けなかった。
薄給の派遣社員でしかなく、しかも絵本仕事は結局ギャラもゼロで終わったので医療費に割けるような余裕はなかったから、日常生活ができるほどに腫れが引いた時点でもう絵は諦めようと思った。
初めてのボーナス、正社員とセクハラ
皮肉なものであるが、絵を諦めた途端に正社員になれた。
あれだけ派遣をつないで副業イラストレーターを頑張っていた時には全く姿も尻尾も影も見なかったのに、である。
景気が少し上向いていたのかはわからないが、運と人との巡り合わせが良かったのだろうと思う。そしてこの時に初めてのボーナスというものを頂いた。さらにもう一つ皮肉なのは、この最初にボーナスをいただいたのは派遣営業職の時だったりする。
派遣という就業形態を恨みこそすれ諦めつつ受け入れるしかないと思っていた私が、営業としてスタッフさんを企業に紹介し料金をいただく。
よく派遣を含む人材屋は人売りだと言われるし、中の人たちもそんなふうに表現する場面に出会ってきたが、まさしく人売りになったんだなと妙な感覚があった。
とはいえ誤解しないでいただきたいのは、不誠実な対応や取引に関わったことはない。知る限り、ごく常識的な手数料と給与形態と技能サポートもあったし、悩みがあれば話を聞きに様子を見にいったり。
面白いのは、私はどうやら営業としてはそこそこ使える人間だったようで、売上が伸びた。私の前に担当していたおじさんはその業界に長くて人脈も広かったのだが、確か担当を変わってから一気に数字が伸びて事務所で拍手された記憶がある。そしてボーナスもいただけた。
安定した収入に、ボーナス。このころ、東京旅行に来た母にディナーをご馳走した。東京會舘の、フレンチ。
この正社員職に就く前に、契約社員として帝国ホテルの関連企業(コンパニオン)にやはり営業職で勤務していて、東京會舘は担当だった。とても素敵な場所で、スタッフさんも全てが大好きな場所で、母を連れていくならここだと決めていた。
親を安心させることなど、生まれ変わっても無理なんじゃないかと思っていたから、とてもとても感慨深かった。
ここのお仕事は本当に好きだった。社内の雰囲気も明るくてみんな仲が良かった。女性が多くて、冷え性だったりケーキを買ってきてみんなで食べたり。営業先から電話をかけた時や連絡時に、ちょっと毒舌気味の事務の子が本当に楽しくて。
ずっとここにいてもいい、と思う日は何度もあったけれど、それは再び転職という判断によって終えることになった。
転職のメンタル(3)
よく就職面接で聞かれる質問に「10年後のキャリアプラン」などがあるが、個人的には10年も同じことをやっていられる保証はないと思う。
リーマンやコロナなんかを考えたらわかりやすいが、変わらないものなど存在しない。常に人も社会も動いていて、需要も変わる。
生き抜きたいなら柳や竹のようにしなやかに、強風が吹いたらストレッチして切り抜けるくらいの柔軟さが必要だと思う。
そこへいくと、人材業は潰えることはないと言える。法律や仕組みが変わったとしても紹介業や派遣は完全に消えることはないし、安定した業種だと思われる。
ではなぜここで転職する判断になったのか。
それは10年後もやりたい仕事かどうかを考えたからだ。
人は仕事をしなければ収入が得られず生きられないが、メンタルを崩してしまうと仕事をすることが困難になり、いずれは生活できなくなる。
派遣営業は会社も会社の人もとても良かったが、クライアントが酷かった。一社をのぞいて、セクハラの大豊作であり、一晩いくらでやれるか? などと堂々と聞いてくるような人間未満おじさん(もっと本音では毒付き表現にしたいが)もいたし、一万円札を一枚出してこれで今夜……などという信じられん非人間もいた。当然ながら大手の他社も営業かけてきてるんだけど〜などとわかりやすい発言もあった。私は全てガン無視したが。
あの方々はそのセリフを吐いた相手が将来こんなふうに活字にして全世界に向けて発言するなど想像する力もなさそうなので、どうしようもない。
記憶を維持するだけでも脳内スペースを取られるし、思い出すだけで胸糞悪いので、記憶域使用料と継続的被害に対して慰謝料をいただきたいくらいだ。(ちなみに全て名前も勤務先も覚えているし、名刺も持っている)
勤務先は良かったが、クライアントがこんな調子だったので転職することにした。安定していても、おっさんらのセクハラ発言に付き合う気はなくてよし。
ここで転職すべきかどうかの私の判断基準を見ていこう。
1 給料以外で現職の好きなところを3つ挙げられるか
2 10年後も同じ会社にいる自分を想像できるか
3 その職場・業界で目指すものはあるか
4 酒たばこの量が増えていないか
5 朝ちゃんと無理なく起きられるか
最終的には健康診断みたいになってしまうのだが、仕方ない。人間は体が資本なのだから。
私の場合は最初の1以外は全滅だったので、転職を視野に入れるべきと判断した。転職を視野に入れたら、早速動かねばならない。時間は常に流れているし、ぼーっとしながら「そのうちねー」などと言っていたら転職できるタイミングもチャンスも全て逃す。
ここは言い切ってしまうけれど、チャンスの女神には前髪しかないというのは本当で、逃した魚が大きいと気づければまだラッキーな方なのだ。
大体は、気がつきもしないうちにチャンスもタイミングも過ぎ去ってしまう。だから私は日本人が大好きな我慢というものが大嫌いで、現状で何もせずに我慢することはただの時間の無駄だと考える。時には耐えなければならないこともあるが、それは大きな計画の中で必要な場面でこそやる価値があるものだと思う。
動いてすらいないのに、何もしていないのに「どうせ自分は〜」という人は、その瞬間に貴重なチャンスを失いながら無駄に時間を潰していると思った方がいい。
何かできるはずなのだ。
たとえどんなに状況が困難でも、条件が厳しくても、できることは絶対にある。
そうして、私は何度目かもはやわからない転職へと進むのである。
そしてやってくるのが……
<5. 世界は一夜で堕ちるーリーマンショック>
#就職氷河期世代 #生き残るマンモス