改めて、義兄のこと
いつだったか、
兄のことを書いたのだけれど。
訳あって削除してしまった...
その方法しか思いつかなかったから。
26歳の時、
自分は東京での生活に終止符を打って、
両親のいる福島へ戻った。
かれこれ40数年前。
色々な結婚の話があったけれど、
思う様に決まらずにいた。
そんな時、
義兄が友だちを連れて福島へやって来た。
友だちは、
とても初めてとは思えないそんな感覚の人だった。
兄が言った。
「誰かいないかよ、妹まだ独身なんだよ」
そんなことから、
今の夫と知り合うことになって。
銀座での初めましてにも、
同行してくれた。
姉妹の自分にとって、
たった1人の存在の兄だった。
姉と知り合った頃は、
自分たちのデートにも、
自分を誘ってくれて。
横浜の丘の上のレストランで食事をしたことや、
ラリーをしていた頃、
試走の時に自分も乗せてくれたこと。
はっきりと一つ一つのことを、
覚えている。
多分、
誰にでも優しい人なのだろう。
結婚してからは、
互いの家庭があるので、
遠のいていたけれど。
自分にとっての義兄の存在は変わらなかった。
今年になって、
姉が卵巣の手術をした。
思い立って、
「さくらんぼ」を送った。
兄からLINEで返事が来た。
「さくらんぼなんて、何十年ぶりだよ」
そう言って喜んでくれた矢先に、
脳内出血で倒れた。
姉からの連絡が中々得られず、
色々を思い出しては、
心が痛んだけれど。
きっと元気になってくれると信じていた。
姉とは距離が出来たままでいた。
そんな時、
ジムの先輩から教えられることがあった。
山形に、
病気がちの一人暮らしのお姉様がいて、
寒くなって来たので気にかけていた。
そして、
お姉様に上げるつもりのダウンを抱えて、
弾丸で行って来た。
連絡もせずに。
お姉様は、
「どこへも行かないのでいらない」
そんな風に言われて、
ダウンを持ち帰ったのだとか。
その話をされてる時も、
何だか優しい心持ちだった。
そして言われた。
「行ける時に会いに行きなさいよ」
絆された気持ちだった。
教えられた。
イラっとして、頑なになってないで、
姉にLINEをしてみた。
最初は拒否されたけれど、
ジムの先輩の話を書いて、
自分も元気な時に行きたいこと。
リハビリ中の兄にも会いたいこと。
1人で抱え込まないでほしいこと。
伝えた...
「12月ぐらいになったら、回復に向かうと思う」
そんなLINEだったので、
会いに行くことを決めた。
父の時とは違う悲しみもあるけれど。
会ってこよう...
夫も同行してくれるので、大丈夫かな。
目の当たりにしたくない兄の姿かもしれないが。
しっかり伝えてこよう。
わかってくれるだろうか?
今年の大掃除は、
ややお預けになりそうだけれど。
奇跡を信じながら。
自分ごとでした。
ありがとうございました。