[コラム] 世界ダウン症の日
今日3/21は『世界ダウン症の日』だ。
前にも書いたが、うちの4歳になる息子はダウン症だ。
せっかくなので、今日はダウン症の息子を通して私がこれまでに体験したことや思ったことをまとめてみようと思う。
※ちなみに、ここは普段SF小説を主に書いてるアカウントです。
ダウン症とは
詳しくはWikiなど見てもらうとして…。
まずは簡単にダウン症とは何ぞやを説明したいと思う。
ダウン症というのは、遺伝子疾患の一種である。
人間の細胞の中には生命の設計図、DNAが入っている。
DNAは普段、細胞核の中にフラクタル構造でゴチャゴチャと入ってるんだけど、細胞分裂の時に染色体の形になる。
↓こんなやつ。
なぜ細胞分裂の時だけこの様な形になるのかは詳しくは解明されていないらしいが、分裂しやすい、コピーしやすい、時間短縮などの利点があるらしい。
知れば知るほど驚愕の世界だ。まじでどうなってるんだDNA。
まあ、それはさておき、ヒトには23対、46本の染色体がある。
ダウン症の人たちは、そのうちの21番目の染色体が3本になっている。
だから、3/21がダウン症の日で、ダウン症のことを “21トリソミー” とも言う。
もっと詳しく知りたい人は、こちらの迷宮へとどうぞ…。
遺伝子疾患やDNAについて掘り始めると底なしなのでご注意を。
このテーマについては、一生かかっても私の好奇心を満足させることはできないだろう。
興味深いことが次から次へと出てくるんだ。
ダウン症の人の特徴
息子がダウン症だとわかったときに、主治医の先生が、こう言ってくれた。
「ダウン症は何か治療が必要なものではありません。温和な人が多いですよ。一つの個性と思ってください。」
とってもいい先生に出会えたなと思った。
この先生は今でも息子の先生だ。
というわけで、まずはダウン症の人たちの特徴を紹介したいと思う。
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<顔>
ダウン症の人たちは独特な顔つきをしている。
見かけたことがある人も多いだろう。
わりと真ん中にきゅっとなった顔が多いのは、顔の中心に比べて外側の方がよく成長するからだそうだ。
彼らのDNAには、共通してそのようなコードが書かれているのだろう。
そして、ダウン症の人たちも親や兄弟姉妹と顔が似ている。
以上を踏まえて、息子の顔。
これは6ヶ月くらいの時。かわいいっしょ?
・ベロが長い
ダウン症の子のベロは長い。そしてだいたい出てる。
舌が出てしまうのは筋力が弱いためらしい。
4歳になった今は、前ほどでなくなったけど、やっぱり出てる。
・ぺちゃんこの鼻
私の鼻もぺちゃんこなので、これはダウン症の特徴なのかわからんがw
わりとぺたんこの顔をしてる子が多い。
・独特な目
彼らの顔の中で一番特徴が出るのが目なんじゃないかと私は思っている。
赤ちゃんだとあまりわからないかもしれない。
でも息子の目は、知ってる人が見ると、ダウン症っぽい目なんだ。
そして寝ながら目が開いてることも多い。
これも筋力が弱いからだそうだ。
ああ、でも目開いてる人、結構いるよねw
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<歯>
歯も特徴があるかもしれない。
彼らの乳歯は尖った形をしている。
生えてくるのも遅くて、息子は1歳4ヶ月で最初の歯が生え始めた。
(娘は9ヶ月で生えた)
ずっと生えてこないから、歯は生えないのかな???とか思っていたころ、ちょうど心臓のレントゲンを撮った時に顎が写っていて、ズラリと乳歯がスタンバイをしているのを見た。
ダウン症の子はとってもゆっくり成長するからずっと赤子のままなのかと思っていたら、ちゃんと人間になっていくプロセスは進行しているんだと感動した思い出。
なお、息子は歯に欠損があって、下の歯が1本少ない。
そのおかげなのか、顎が小さくても歯並びがさほど悪くならずに、ちょうどよかったのかも。
ダウン症とひとくくりに言っても、複数のパターンの顔があるように思う。
息子とそっくりな子もたくさんいて、そういう子に遭遇すると萌え死ぬ。
家族にダウン症の人がいる者にとって、これらの特徴は萌えポイントだったりするのだ。
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<手足>
彼らの手足も独特の形状をしている。
・手
左が息子で、右は2歳の娘のものだ。
息子の方は、指が短く、親指が離れていて、そして升掛線(猿線)がある。
それから、小指がナゾ構造になっている。
関節は我々と同じようにに三節棍みたいに曲がるんだけど、なぜかシワが1本しかない。
隣の娘の小指と比べるとわかるかな。
これはまじまじと観察してもどうなってるのかわからん。
ちなみに、娘も若干升掛っぽいし、お父さんも片手が升掛、おじいちゃんも升掛だ。
升掛線は天下取りの手相と言われ、百人に2~3人しかいないはずなんだけど、うちの出現率は異常だ。
だけど誰もまだ天下取ってないぞ。
さらに言うと、私にはもっと強力な、億万長者になると言われる覇王線がある。
手相なんて信じられない。
※升掛だったらダウン症というわけではないよ。
・足
こちらも左が息子。
足の指も親指が離れていて、指が短い。
偏平足の人も多い。息子も偏平足気味だが、そこまでぺったりでもない。
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以上に述べた特徴に全て当てはまるからといって、ダウン症だとは限らないので必要以上に心配しないように。
ダウン症かどうかは血液検査するとわかる。
ネットの情報をいくら見ても我が子が何であるかはわからないので、もしも心配なことがあったら、病院や地域の子育て支援などに相談してみてね。
それでは続いて、息子を産んでから今までの話をしていこうと思う。
出産から手術を経て
お腹の中の赤子がダウン症なのかどうかは、調べる方法もあるし、普段のエコー検査で推測される場合もある。
出生前診断については賛否両論あるけど、私は個人の自由でいいと思っている。ケースバイケースだし。
私自身の考えはもちろんあるけど、それを他の人に押し付けるようなことはナンセンスと思っている。
私の場合、出生前診断はやらず、妊婦検診でも大きな問題は見つからなかった。
たぶん、胎児の心臓のエコーをがっつりやったら解ったかもしれないけど、いろいろな状況が重なって、息子の異常は産まれ出るその瞬間までわからなかったのだ。
私は知らぬが仏でよかったなと思っているので、そうなるようになっていたのかもな。
息子は、産まれた瞬間に「なぁ〜!!」という可愛い声で泣いたには泣いたのだが、酸欠で全身が紫色になっていた。
チアノーゼってやつ。
ちなみに、産んだ時の感じは、物語の中で再現してみた。
この物語はフィクションだけど、この産んでる感じは私の体験が反映している。
息子が産まれて来たのは夜中だったので、翌朝詳しい検査がされた。
その結果、息子の心臓の真ん中の壁の上下には穴が空いていることがわかった。
さらに、ダウン症だと思います、と、このタイミングで告げられた。
上に書いたように、ダウン症であるかどうかは血液検査をしないとわからないのだが、小児科の先生は経験からピンとくるみたい。
我が子がダウン症であったことについて、「ダウン症 来たー!」というふうに、何かわからないけど、この世のあれこれを決めている何かに選ばれたような感じがして、すっと受け入れた我々。
高齢出産だったし、本能的に予感もあったのかもしれない、今思えば。
問題は心疾患だった。
ダウン症の子のおよそ半分が、心疾患を持って生まれてくる。
勉強不足の私は “心室心房中隔欠損” という言葉を初めて知ることとなる。
そんな状態でも息子はNICU(新生児集中治療室)に入ることもなく、酸素もつけずに我々と同じ空気を吸って生きていた。
なんかすげーなうちの子…と思ったものだ。
そんなこんなで、息子は生後2ヶ月の時に肺高血圧を抑えるために血管を縛る手術をし、6ヶ月の頃に心臓の穴を閉じる手術をした。
今まで病院とは無縁の世界に暮らしていた私にとって、息子との入院生活は初めてのことの連続だった。
まず、子供が入院すると、保護者が24時間泊まり込みで付き添い入院なるものをする。
保護者と言っても大部屋だと女性の中に男性が泊まれず、だいたい母親が寝泊まりしてる。
一度、小学生高学年の男の子と同室になったことがあった。
そこのうちは小さな弟がいて、病棟に患者でない子供が入れないため、お母さんは病院になかなか来れないようだった。
昼間はおじいちゃんが来ていて、夜にお父さんが交代していた。
でもお父さんは泊まれないから、面会時間の終了と共に帰っていた。
男の子のベッドからは夜になるとすすり泣く声が聞こえたりして、私もつられて泣いていた。
そのころ、部屋には私達とその家族しか入っていなかったので、私はお父さんが構わなければ泊まってもいいですよ、と申し出てみたんだけど、規則でダメと言われてしまった…。
確かに、付き添いとは言え、同じ部屋に見知らぬ男性が寝泊まりしてたら嫌な人もいるかもしれないけど、私は全く気にならないタイプだ。
その辺は臨機応変にできたらいいのになーと思った。
この決まりは病院ごとに違うだろうし、必ずしも保護者が24時間付き添いしなくてよい場合もある。
もしも子供が入院しないといけないことになった時は、パニック状態でいろいろ考える余裕はないかもしれないし、選択の余地がない場合もあるかもだけど、家庭の状況にあった対応ができる病院かどうか、事前に確認できたらいいなと思う。
幸い、我が家は私が付き添い可能だったので、入退院を繰り返す息子に付き添って、生後6ヶ月で心臓の手術を終えるまで、私も通算3ヶ月くらいは病院で暮らしていた。
写真で見るとなんか昭和な病室だなw
大きな部屋にカーテンの仕切りがあり、何家族かが同室で暮らしていた。
このベッドに大人も一緒に寝る。窓の外が意外と壮大な景色だったので、窮屈さは感じてなかった。
病院での生活のやり方は看護師さんが教えてくれるんだけど、彼女らはとても忙しい。
看護師さんたちの仕事は激務だ。それなのに、いつでも最高のケアをしてくれる。もう神としか言いようがない存在だった。
そんな激務の看護師さんたちに、日常の細かい質問をするのは何だか気が引けるのだけど、そういう時は、同室のお母さんたちが助けてくれた。
病院にはずっと入院している子どももいる。
私が驚いたのは、うちよりもずっとずっと大変な家族もたくさんいるのに、とにかくみんな明るく強く、優しかった。
昼間は面会の人が来たり、同室のお母さんたちがギャハハ~とか喋ってたりしてにぎやかだった。
私もだいぶお気楽ご気楽な方なのだが、その光景には度肝を抜かれた。
それぞれの家族で、つらいことも悲しいことも、もちろん山ほどあるんだよ。
でも、なんかどこかで達観してしまうのね。壮絶な修行の果てに悟りを開くというか、そんな感じなのかもしれない。
同じように戦っている家族がすぐそばにいる、という心強さもあった。
おかげで私も病院での貴重な時間を経て、ちょっとはたくましくなれたかもしれない。
この入院中のあれこれを書いているときりがないのでこの辺でやめておこう…。
なお、心臓手術をして息子の穴はふさがったが、弁の逆流があり、今でも数ヶ月に一度、レントゲンや血液検査をして経過を見ている。
が、特に大きな問題はなく、日常で特別なケアも必要なく元気に過ごせている。
赤子の入院費について
心臓の手術をした際、息子は連続で2ヶ月ほど入院した。
会計の時に領収証を見たら、数百万円と書いてあった。
ぎょぎょぎょ!!!
でもご安心を…。
子どもの医療費は、国保または社会保険等に入っていれば、自治体によって多少違いはあれど、助成制度がある。
我々は東京都在住なので、幼児の医療費は全額助成となり、食事代だけの支払いで済んだ。
ベッド代も、入院していた病院では大部屋なら無料だった。
いやはや、国にこんなに助けてもらえるなんて想像もしてなかったよ。
(自分で払ってきた保険料だけど。)
ちなみに、赤子の食事代(ミルク代)は1日数百円だけど、長期入院になるとそれなりにかかる。
それから、感染症で入院だと個室に入らないといけない場合もあり、病院によっては部屋代がかかる場合もあるかも。
実際にかかる入院費って、もらった資料だけではわからないことが多いので、事前にしっかりスタッフの人に確認しておくのがよい。
大きな病院だと、ソーシャルワーカーさんという人たちがいて、いろいろな制度のことを教えてくれる。
知らないことばっかりで、今まで自分は何をしてたんだ…と反省した。
という感じで、子どもの医療費はかからないと言いつつも、何かと出費はあるので、子どもの医療保険に入っておくのもおすすめだ。
私もお友達のお母さんに教えてもらって初めて知ったのだが、息子のように持病がある子も入れる保険もある(持病で入院の場合は保険出ないけど)。
どんな保険があるのかは、保険の窓口とかで聞いてみてね。
MCTミルクの恐怖
さて、生後6ヶ月の時に心臓の手術をして、退院まで少々時間がかかったが、息子は無事に我が家へと帰って来た。
だけど、ここで問題が。
術後に時々なる子がいるらしいんだけど、脂肪分が多く白濁したリンパ液が胸にたまってしまう「乳び胸」とかいうのになって母乳や普通のミルクを飲んではいけなくなってしまった。
それでMCTミルクというのをしばらく飲むことになった。
これが、通常のミルクより4倍くらいの値段がするお高いミルクなのだ。
こうして息子は「乳び胸」が治るまで3ヶ月くらいMCTミルクを飲んでいた。
なんだけど…MCTミルクが息子に超絶合わなかったらしくて、少ししか飲まないうえに、飲んですぐドバァ~と吐いてしまうことが度々。
吐かない時の方が少なったように記憶してる。
毎度毎度、お高いミルクをドバァ~だ。
充分に飲めなくて、どんどん痩せていく息子が心配だったが、代替えがない…。
MCTミルクを飲んでもらうしかなかった。
この時期はとにかくゲボとの闘いだった。
「耐えるのだ!ゲボ王子!」と励ましながら、私は防水シーツの上に座っておっかなびっくり飲ませていた。
家だったらまだいいんだけど、病院など外で飲ませないといけない時は恐怖だった。
息子と私の着替えは必須。バスタオルと防水シートを敷いて飲ませていた。
だけど、外ではなぜか吐かない息子。
この地獄のようなゲボの日々を乗り越え、息子の胸水も落ち着き、晴れて通常のミルク解禁となった時、私は助かった~と心から感謝した。
息子も同様の気持ちだっただろう。
通常のミルクを久々に口にしたときの息子の食いつきと言ったら!!
グビグビ飲んだ!!! ゲボしなかった!!!
MCTミルク…不味かったのかな??
今となってはわからない。
こうしてMCTミルク期間中にやせ細ってしまった息子は、少しづつまた体重を増やしていくのであった。
やばいウイルス
ダウン症の子は、体が弱い。
赤ちゃんのうちは、ちょっとした風邪でも命とりになることもある。
息子も2歳の時にヒトメタニューモウイルスという、大人にとったら何てことない奴に感染して入院してしまったことがある。
こいつはRSウイルスの仲間だ。
RSウイルスって聞いたことあるだろうか。
大人にとってはただの鼻かぜみたいなやつなのに、赤子や老人が感染して重症化するとやばいやつ。
特にダウン症の子は重症化する確率が高い。
RSウイルスで重症化のリスクの高い赤子は、「シナジス」という抗体成分を打つ対象となる。
これはワクチンではなく、重症化を抑える薬だ。
11~3月くらいの間、毎月打たないと効果がない。
筋肉注射なので超痛い。
普通の注射では泣かない息子もギャン泣きだったな…。
なお、シナジスの対象には条件があるので誰でも受けられるわけではない。
この条件に当てはまらない人は、たとえかかったとしても、そこまで重症化しないということだと思う。
実は、息子も娘も二人ともRSに感染したことがある。
その時はもう大きくなっていて、息子もシナジスは卒業してた。
だけど、二人とも症状はひどかったけど入院するまでには至らなかった。
小さな赤ちゃんを抱える家族は、コロナ以外にも注意しないといけないウイルスがたくさんあるんだ。
食事は大変だぞ
赤子は、生後5~6ヶ月くらいまでは母乳またはミルクのみで過ごす。
そこから徐々に食べ物を口にしていく。
離乳食だ。
息子は心臓の手術を終えたのがちょうど6ヶ月の時だったので、病院で離乳食が始まった。
病院ではその子の状態にあった食事を出してくれる。
※「乳び胸」の間も脂肪分の少ない食べ物ならOK。
最初はおかゆだけ。ペースト状の米からスタートした。
これが、もう、どうしたらいいかわからん状態。
息子はミルク以外のものを食べるという概念を全く持っていない赤子だった。
口の中におかゆを入れると、ベロ~と出てきてしまう。
食べさせているというより、口の回りに米を塗って、それを拭いているという作業だった。
徐々に、ペースト状の野菜とか、魚とかが出るようになったけど、どれも息子は食べなかった。
病院の離乳食は意外とおいしかったので私がほぼ食べてたw
私は料理がさほど得意ではないので、病院で出してもらえていたのは、とても助かった。
問題は、退院して家に帰ってからである。
何をどう作っていいのかよくわからなかった。
とにかくおかゆと野菜を煮たものなどを作ってみたが、息子は食べなかった。
離乳食というのは、一般的な子でもいろいろ苦労するものである。
娘もすんなり行かなかったけど、いつのまにかいろいろ普通に食べてるな…。
ダウン症の子たちは食べるのが上手ではない。
いつの間にか食べるように…とは行かない場合が多い。
というわけで、1歳すぎたあたりから、摂食指導というのが始まった。
地域によって違いはあるかもだが、私の住んでいるところでは、必要と診断されれば無償で受けられる。
摂食指導では、食べている様子を見て、専門の先生が口の中の状態を診断し、どのような食べ物や食べさせ方が適切なのか教えてくれる。
栄養士さんも同席するので、調理法なども教えてもらえる。
料理が苦手だということを伝えたら、レトルトの離乳食でもいいですよ、と言ってもらった。
それで、試しに瓶詰の離乳食を食べさせてみたら、なんとそれは食べた!!
こうして少しずつ、息子は食べ物を口にするようになっていった。
これはダウン症児の親御さんたちの共通の苦労なんだけど、とにかくドロドロ食の時期が長い。
通常の子が離乳食を初めて、大人とほぼ同じ形状のものを食べられるようになるまでの時期は、だいたい数ヶ月、長くても半年ほどである。
はっきり言って一瞬なので、離乳食を作った記憶がない…という人も多いくらいだ。
それに比べて、息子は今でもおかゆを食べている。
赤ちゃんのころは離乳食でいいんだけど、2歳も過ぎてくると、味付けや食材は通常の料理と同じで、形状だけドロドロという食事になる。
つまり、これは介護食なんだ。
薬局などには、「かまなくてよい」「舌でつぶせる」などの固さの段階ごとに介護食のレトルト食品がある。
私はだいぶこれに助けられた。外で食べなくてはいけない時なども便利だったな。
もう食べてくれないけど。
最近では、大人の食べ物を少し加工しすればよい感じになってきたし、細かく切ればサンドイッチなども食べられるようになったので、ものすごく楽になった。
本人もみんなと同じものを食べたいので、嬉しそうだ。
普段何気なくやっている噛んで飲み込むという動作だけど、自然に習得できない人にとってはこんなに難しいことだったんだな、と息子を通じて思い知っている最中である。
二足歩行への道
ダウン症の子は筋力が弱く、発育ものんびりなので、平均よりいろいろ遅くなる。
うちの子の場合は、4ヶ月くらいで寝返りをして、うつ伏せになって何とか頭を持ち上げることができる感じだった。
心臓の手術など終えた6ヶ月のころは、うつ伏せで頭を持ち上げて何とか上半身が浮くかな、浮かないかな?というレベル。
ダウン症児としては平均的なところではあるが、ケアが必要と判断され、公立の施設でリハビリを受けられることになった。
リハビリの最終目標は歩くことだ。
リハビリの制度は地域によって違いはあるかもしれないが、私の住んでいるところでは、発達に心配があると診断されれば無償で受けられる。
ダウン症の子の場合は、自動的に自治体の保健師さんがいろいろ手配してくれる場合が多いんだけど、そうでない場合で、もしも心配なことがあれば、6ヶ月検診とか1歳半検診とか定期的にある検診に参加して相談してみるのがおすすめ。
筋力の弱い息子は、赤ちゃんのころはグニャグニャで、体も柔らかいので、座らせようとしても、二つ折りになるだけで、どうなってんのこれ?という感じだった。
↓1歳でこんな。
そんな息子がやっていたリハビリは、うつ伏せで頑張って顔を上げて、片手を伸ばして目の前の玩具をクルクル回す、とかいうものだった。
やらされると嫌になるタイプ。
こんなんで歩けるようになるのか!立つんだジョー!
もちろんそんなスパルタはしてないがw
スーパーマイペースな息子でも、徐々に、座る体制がとれるようになり、ずりばいが始まり、つかまり立ちができ、そして1歳になるころには、高バイするようになった。
しかも、バタバタと驚くべきスピードで進む。
おお!これは、早くも歩いちゃうかも!?
と期待させられたのだが…ここからめちゃ長かった。
高這いを極めすぎて高速移動が可能になったために、わざわざ不安定な二足歩行をやる意味を見いだせなかったのか。
息子はなかなか歩かなかった。
それでも私は全く焦ってはいなかったが、歩いてくれないと日常生活でいろいろ面倒だったので、早く歩かないかなーと思っていた。
リハビリでは、屈伸運動が必要な遊びをやったり、背伸びするような遊びをやったりしていた。
家では特に熱心には何もやっていなかったけど、リハビリでやった遊びを時々真似してやってみたりしていた。
そして、3歳と1ヶ月になった時、急にやる気を見せて、彼は二足歩行を本格的に始めた。
歩けるようになった息子はとっても嬉しそうだった。
グニャグニャの息子を抱いて、この軟体動物が本当に歩くのだろうか…と思っていたあのころの私にこれを見せたい。
というわけで、4歳の現在は、チョロチョロとそこら中を歩き回っている。
まだ不安定で、横からの力に弱くてぶつかったりするとすぐにひっくり返るし、走り出すと足が絡まってコケたりするが、結構素早く移動する。
一瞬のスキをついてダダダダダダダ~と走って行ってしまう。
あんなに長かった高這いの姿を今ではもう思い出せないくらいだよ。
療育の現場
「療育」というのは、発達に心配な点がある子が社会の中で自立できるように支援するもの、という感じで説明がされている。
療育を受けに来る子たちの中には、ダウン症のように知的障害のある子たちもいれば、様々な疾患があって発達がのんびりな子、ギャーッとなってしまう子、コミュニケーションが上手にできない子たちなど、いろいろな子がいる。
療育というのは、その子たちがみんなと同じにできるようにするのではなくて、集団生活にの中で本人が無理なく過ごしていけるように、本人が自分自身を自分でコントロールする術を見つけられるように促してくれるものなのである。
療育の方針は、施設によっていろいろで、この世にはダウン症に特化した療育というものもある。
発達に心配がある場合は、検診の時などに保健師さんに相談すると、療育を受けるのかどうか、いろいろ相談に乗ってくれると思う。
子育てで、やりづらさなど感じている場合は、療育をやると親も子もどちらも楽になる場合もあるから、ぜひ相談してみてほしい。
私はかねてから多様性に取りつかれていたので、ダウン症に特化した施設ではなくて、いろいろな子がいる公立の施設に通うことにした。
息子が1歳の時に始めた療育は、数組の親子がグループで週に1回集まり、1時間ほどのカリキュラムをこなすというものだった。
いろんなタイプの子供たちがごちゃまぜのグループは、最初はカオスそのものだけど、同じメンバーで同じような流れで毎度毎度クラスをやっていくと、徐々に秩序が保たれるようになる。
最初は泣き叫んでいた子が、数か月後には楽しそうにおもちゃで遊び、積極的にお片付けにも参加したりするようになったりもする。
これなら保育園に行けるかも…!と勇気を持てる親御さんもいるのではないだろうか。
療育の現場の先生たちの姿に、私はかねてからあこがれていた「北風と太陽」の「太陽」を見た。
私はどうしても北風になってしまう。
以前働いていた職場で、向いてない仕事をやらされて失敗してしまう人をどうしたらいいのかわからなくて、本人に怒ってしまったり、無理やり仕事をさせている上層部に食ってかかったりしていたのだが、その時、「療育」というものに出会っていたら、もっとマシな行動ができたのにな…と、とても胸が痛くなることがある。
私がやっていたのは、コートを無理やり脱がすことだったんだ。
療育を始めて、目から鱗が落ちることがいっぱいだった。
ちょうど今、“魔の2歳児” を謳歌中の娘とのやりとりでも参考になることもたくさんある。
息子にも「え!こんなことできるの!?」という瞬間がたくさん出現した。
私は全く持って教育熱心ではないので、療育について情報も集めていないし、強く何かを求めたりはしないんだけど、ゆるい感じで息子には必要なものだなと感じている。
とにかく、彼にはインプットが必要なんだ。
いろんなことに脳と心が刺激されて、彼は活性化する。
現に、楽しいイベントに行った後などは、ギンギンに覚醒した感じになって、ぐんと成長するように思う。
うちは夫婦で音楽をやっていて、ライブをしたりしてる(コロナ禍で今はライブないけど)。
ライブの時は、子どもたちもステージに上げちゃう。
息子の様子を見ていて、そういう音楽との関わりとか、人との関わりがとっても大切なんだと感じる。
療育は、そういう体験もできる場所なんだな。
ちなみに、療育は、必要と診断されると受給者証がもらえて自己負担1割で受けられる。
それから、収入に応じて1ヶ月にかかる料金の上限が決められ、それ以上はかからない。
施設によって違うかもだけど、息子が受けてた療育は、2歳までは1回数百円で月3~4回だったし、3歳から無償になって費用はかかってない。
上限金額になることは一度もなかったな。
地域のコミュニティに参加してみよう
私が住んでいる地域には、ダウン症や知的障害を持つ子どもの親の会がある。
それは有志のコミュニティなのだけど、区の職員さんが教えてくれた。
そこに参加しようとは思ってはいたものの、人見知りが過ぎて、なかなか連絡できずにいた。
そしたら、リハビリでよく一緒になるお友達が、実は生まれたときの入院時に同じ病院の隣のベッドだったことが判明し、そのお母さんに親の会に誘ってもらってスルっと入ることになった。
このような会は、必ずしも住んでいる地域にあるとは限らないけど、似たような境遇の家族と交流できる場があれば、どんどん参加したらいいなと思う。
コロナ禍の今は集まったりはできないかもしれないけど、オンラインで座談会などやったりしてる。
子どもが生まれたばかりで、しかもダウン症と知ったばかりの親御さんの中には、深く悩んでしまっている人たちもいて、同じ境遇の家族と話をするだけでも気持ちが軽くなる場合がある。
意外とうちみたいにケロっとしてる家族とかもいて、ああ、それでいいのか!と少し気楽になれたそうだ。
私はこの会に参加して、同世代の子を持つお友達や、上の世代の家族などと友達になって、様々な情報交換ができている。
みんな面白い人たちばかりで、楽しい。
特に今は人に会って話をする機会が激減してしまった時代なので、「どうして私だけが…」とならないように、仲間がいると常に感じられる場所に自分を置いておくのが大切だ。
妹が産まれた
息子が1歳になるころ、私は第二子を妊娠した。
これが、また、大変だった。
妊娠6ヶ月くらいから、切迫早産と診断されて、自宅で安静にと言われていた。
トイレ以外はなるべく体を起こさないようにと言われた。
それで、ほぼ寝て過ごしていたんだけど、最後の1ヶ月でついに私は入院になってしまった。
その間、息子は、緊急一時保育で保育園に行くことになった。
まだ離乳食が全く進んでいなくて、ミルクが主食のころだ。
ダウン症でも一時保育してくれるのかな??と不安だったけど、一番近所の保育園に行けることになった。
後から知ったんだけど、その保育園には歴代ダウン症児が通っていて、扱いにめちゃ慣れてる。
彼は1歳児クラスの年齢だったんだけど、1歳児はミルクが出せないということで、1つ下のクラスで預かってもらえることになった。
発育もちょうど同じくらいなのでちょうどよかった。
そして息子はいきなり保育園に放り込まれたわけだけど、慣れない環境で大変だったと思う。
普段ほぼ泣かない息子が、このころはよく泣いていた。
(速攻胃腸炎をもらって、実はあんまり行ってない)
寝たきりで過ごす病院の一日はクソ長い。
夕方に息子に会える時間が待ち遠しく過ごしていた。
でも会うと息子はわりとベソベソしてたように思う。
この間に奇跡があって、なんと息子を取り上げてくれた助産師さんと再会できたりもした。
そう、あの紫色だった息子を取り出してくれた助産師さんだ。
大きくなった息子を抱っこして、助産師さんも嬉しそうだったなー。
こうして私は約1ヶ月の入院を経て、無事に娘を出産した。
で、この切迫早産の時の入院費だけど、1ヶ月入院となるとまあまあな高額になる。
なので、高額医療制度を使った。これは収入に応じて1ヶ月に支払う医療費の上限が決められて、それ以上になった分が支給されるというものだ。
ここで要注意なのが、1ヶ月ごとの計算というところだ。
例えば、1ヶ月間の入院で費用が上限以上になる場合、月をまたがなければ上限までの支払いで済むが、月がまたいでしまって、各月の日割りが上限以下になってしまった場合は、結局全額支払うはめになったりする。
私はたまたま数日しか月をまたがないケースになったので、助かった。
国のいろんな制度には、このように収入によって金額を計算されるやつがいろいろあるけど、いつもモヤモヤする。
そのひとつひとつだったら、確かに何とか払える額なんだけど、そういうのが何個も重なって来るじゃん。合計すると払うの大変なんだけど…とうことばかりだ。
しかもこの高額医療制度も、長期入院で毎月支払いとかになるとかなりきつい設定の金額だ。
それでも出してもらえるだけいいんだろうけど…。
幸い、私の場合は、妊娠する前に医療保険に入っていたので、保険がおりてちょっとおつりがくるくらいになった。
医療保険なんていらん…と思っていたんだけど、入っていて本当によかったと思ったよ。
保育園事情
息子の手術も一通り終わり、娘も生まれて、そろそろ私も仕事に復帰しなければならなくなった。
ダウン症児の場合は、障害児枠になるので、選べる園は限られてくるが、手術とかなければ彼らも0歳から保育園に通える。
保育園に入るにあたって私が一番心配だったのは、食事だった。
昼間はミルクなしでもなんとかなる程度にはなっていたが、ドロドロ食でないと食べられない状態だった。
保育園の候補を決める時に、区の職員さんがものすごく親身に相談に乗ってくれて、ダウン症児の保育実績がある園や、その他の評判などを詳しく教えてくれた。
第一候補は、私が入院中に息子がお世話になった保育園(以下 保育園A)にしようと決めてたのだが、第三希望まで決めなくちゃいけないし、娘の保育園も同時に選ばなくちゃで、頭がパンク寸前だったのでとっても助かった。
それで、公立の保育園の方が横の繋がりがあるから、私立よりかはいいかもしれないと聞いた。
もちろん私立でもダウン症児を保育した経験があればよいのだが、新しい園だったりすると、ノウハウがなくて苦労することもあるとのことだった。
それで、いくつか候補を決めて見学に行った。
障害あるなしに関わらず、保育園の見学は絶対に行った方がよい。
行くと雰囲気がわかる。少しでも違和感がある場合はやめた方がいい。これは通い始めてから知るのでは遅すぎるのだ。
保育園選びに関しては直観が大事かもしれないと私は個人的に思っている。
まずは区の職員さんにおススメされた公立の園(以下 保育園B)に行ってみた。
すばらしかった。
うちの子はダウン症で食事が介護食なんだけど…と恐る恐る聞いてみると、「ああ!大丈夫ですよ!その子に合った形状のものを相談して出せますから!」と当たり前のように答えてくれた。
まだ歩けないことなども心配いらないと言ってくれた。
なるほど、保育園はすごいな。
これはもしかして、私立の保育園でも大丈夫なんじゃないか?と期待が膨らみ、一度候補から外していた新しめの私立の園にも見学に行ってみた。
そしたら、全く違っていてビビったよw
園長先生が案内をしてくれたんだけど、最後に質問は?と聞かれたので、我が子がダウン症であり、食事の個別対応が必要であることを告げた。
そしたら驚きの返答が。
「園児はいっぱいいますからね。個別に対応は無理です。」
思わず、え?と聞き返してしまった。いちおう、障害児の枠のある保育園だったんだけど…。
ああ、そうですか…と言って私は園を後にした。
自分たちが前例になって次の世代の選択肢を広げるという役割もできるかもだが、いや、ちょっと厳しい…と思った。
その他、見学に行けなかったけど気になる保育園があり、電話してみた。
そこは私立だけど結構歴史のある園で、駅から近いので便利そう…と思ったのだった。
電話をすると、わざわざ園長先生にかわってくれて、息子がダウン症であることを告げると、ダウン症児の保育の経験があるとのことで、「食事とかの問題ですよね、大丈夫ですよ~」と言ってくれた。
私立でもいろいろだな。
というわけで、公立、私立どっちがいいとかではなく、本当に園によってなので、事前調査が絶対的に大事なのだ。
さて、保育園への申し込みが済むと、息子のような特別なケアが必要そうな子は、体験保育というのをやってもらえる。
集団生活ができるのかどうか、どんな対応が必要なのか事前にチェックしてくれるのだ。
体験保育は、第二候補にした保育園Bでやることになった。
体験保育は2日間やる。
1日目は、朝から私も同伴でクラスにお邪魔して、お昼を食べて終わり。
2日目は、朝登園して私は一度帰宅。おひるご飯が終わるころに迎えに行く。
教室に入ると、息子と同い歳の子供たちが元気に遊んでいた。
今まで、療育などで特殊な子供たちとしか接してなかった私は、それがデフォルトになっていたので、ちょっとびっくり。
わー1歳ってこんなに走り回って喋るのか~!!
この中で息子がうまくやっていけるか未知だったが、そんな私の心配をよそに、息子はずんずんみんなの中に入って行って、おもちゃを手に取り遊び始めた。
お友達も、一回り体が小さくてハイハイで進む息子を見て「赤ちゃん来た~!」てな感じで興味津々。なかよく遊んでくれた。
この時の先生の中にはダウン症児を預かった経験のある先生もいたりして安心だった。
お昼には食事の形態について細かく確認してくれて、いろいろ工夫もしてくれていた。
翌日は息子ひとり置いていく。
そういえば、私が入院中も保育園に行っていたわけだし、そんなに心配いらないだろう…と思っていたのだが。。
迎えに行ったとき、ちょうどご飯を食べていたのだが、私の顔を見るなり、息子はえーんと泣いた。
とにかく痛い時以外に泣くことがあんまりない子だったので、私は思わずもらい泣きしそうになって、息子をぎゅっと抱いた。
知らない人にご飯を食べさせられるのが嫌だったみたい。
こんな感じで体験保育は終わり、園の先生には「正式には会議で決まるけど、集団生活は問題なさそうですよ」と言ってもらえた。
こうして、無事、うちは子ども2人とも保育園に入ることができたのだが…。
別々の園になってしまった。
枠がどこも少ないのでこれは致し方ない。
息子は体験保育をした保育園Bにそのまま入ることになり、娘は保育園Aに入った。
個別対応が必要だったり、集団生活ができなかったり、医療的なケアが必要だったりする子どもたちが保育園に入るには、なかなかハードルが高い場合がある。
それでも働かないといけない人たちもいるわけで。
この国の保育園事情はただでさえ問題山積みなので、とても長い長い道のりになるだろうけど、どんな境遇の人でも安心して働ける環境ができるといいなと思うのである。
どうかそっちの方向を向いて進んで行ってほしいと思うんだよ。
言語指導
3歳になると、言語指導というものが始まった。
これは療育を受けている施設でやってくれるものだ。
こちらも必要と診断されれば、私の住んでいる地域では無償で受けられる。
ダウン症の子は、言葉の発達もゆっくりで、大人になっても言葉でのやりとりが苦手な人も多い。
3歳になった息子は、まだはっきりした発語はなく、犬を見て「ワンワン!ワンワン!」と言うくらいで、あとは「バー!」や「ダダダダダダダ」などいわゆる喃語を主にしゃべっていた。
声はよく出す方だと思う。
言語指導では、特にに喋る練習などはしない。
くつ、帽子、コップ、歯ブラシ、リンゴ、犬などを題材に、同じをあわせるマッチングをしたり、「帽子ちょうだい」と言葉で指示して、帽子のカードを取らせるなどの遊びだ。
このクラスが始まってから、物の名前などを息子が簡単に聞き分けていると知り驚いた。
普段、「はいコップだよ」とか無意識に言ったりしているけど、それらをちゃんと聞いて、いつのまにか習得していたのだ。
言葉の聞き取りは、私が思っているよりも実はずっとできていたのだった。
それから、写真のバナナとイラストのバナナを同一のものと分かっていたり、色や形が違う眼鏡の絵を同一のものと理解していることもわかり、普段何気なく暮らしていると気が付かないような息子の成長を知ることができて、言語指導はとても楽しい時間だ。
私は子どもが生まれる前から、人間が言葉を習得していくプロセスに興味深々だった。
娘がアッとゆう間に喋るようになったのもすごかったし、息子が何年もかけてゆっくりと言語を習得している様子も楽しくてしかたない。
現在4歳になる息子は、周りの人たちが言葉で意思を伝えあっていることに気が付いた様子で、自分でもいろいろ言ってみようとしているところだ。
まだ喃語の域を出ない感じではあるけど、カラフルなものを見ると「アオ」と言ったり、歌のまねしてみたり、ぐんぐん成長していて楽しみだなー。
未来に向けて
さて、ここまでが私の今までに経験したことのである。
これを読んで少しでもダウン症を身近に感じてくれたらいいな。
これから赤ちゃんを産む人や産もうとしている人の中には、子どもに障害があったらどうしよう…と心配に思っている人もいると思う。
産まれた子供に障害があると分かって、今まさに、どうしよう…ってなってる人もいるかもしれない。
我が子に障害や病気がない方がいいと思うのはあたりまえだし、自然なことだと思う。
息子について言うと、心疾患はできれば変わってあげたいという気持ちはずっとかわらない。
ダウン症に関しては、産まれたばかりの時に先生が言ってくれた言葉そのものが私の気持ちである。
「ダウン症は、息子の個性のうちの一つ」大切な個性の一つなんだ。
障害がある子が産まれた時、心配になることの一つに、将来自立できるのかな…ということがあると思う。
そう、確かにそれは心配ではあるんだけど、では、障害のない子は心配じゃないのかと言うと、どんな子でも同じくらい心配なんだよね。
反対に言うと、どんな子の未来も未知であり、無限の可能性がある。
今からヤキモキしてもしょーがなくない?と私は思ってしまう。
ゆるすぎて。
人間はどうしても「決めつけ」をしてしまう。
無限の可能性があるのに、決めつけてしまう。
「こうあるべきだ」という、ひとつの価値観に囚われていると、本質が見えなくなってしまうことがある。
こうでなければ不幸だ…と決めつけてしまう。
それはもう、呪縛に近い形で心の中に食い込んでくる。
子どもに対して、「こんな人になってほしい」という思いが強すぎると、そうならなかった場合の副作用がきついので、柔軟に、適当な感じで構えていたい(私は)。
私自身は、大人たちの心配をよそに我が道を行く夢見る子どもで、今思えばあれは幻覚だったんだよな??というようなことを現実として記憶してたりするあぶない子供だった。
小人とか見えて、ぼーっとした子供だったけど、それでも1万字を超えるコラムも書けるようになったよw
だから、どんな子だって大丈夫。
大丈夫と思えば大丈夫なのさ。
最後に
以上が、2021年3月21日、世界ダウン症の日に私が書きたかったこと全である。
今はまだ、人類はとっても未熟な状態で、自分と異なっている者たちを恐れ、差別し、攻撃する傾向にある。
徐々に、そうじゃないんじゃないの?という声が高まってきているけれど、恐怖心の強い人たちが “正義” という名の妄想に駆られて、相手に自分の価値観を押し付けたり、何かを強く否定したり、攻撃したり…は続いている。
世界中の人たちが、違いを尊重し、どんな相手でもその存在を認めて付き合えるようになる日はくるだろうか。
じゃないと、宇宙人が来たとき、まじて恥ずかしいことになるぞ。
宇宙人に恥じない私達でありたい。
そして心にいつでもユーモアを★
それでは最後に、自分の書いている物語の宣伝をして終わりたいと思う。
DNAの神秘に迫ったふうの物語
まだ完結してないけど多様性がテーマの物語
※この中に出てくる、いろいろな制度の話は、私の知ってる範囲のことなので、不正確な部分もあるかも。
気になる制度について詳しくは地域の施設に相談してね。