倭国の都城・首都は太宰府 草野吉彦

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歴史に不思議は山ほどあるが、古代については解らないこと、疑問、古墳の解明が進まないこともあり想像を掻き立てれば搔き立てるほど面白いストーリーが出来る。

著者、草野善彦氏は古代に関する著書が豊富ではあなるが学界からはさほど重要視されていないようだ。これまでの古代史観を覆すような著作が多いために仕方がないのかもしれない。反論の対談も見当たらず、残念である。学者先生の反論はぜひ聞いてみたい。

草野氏の説は、大和朝廷と九州の邪馬台国の流れを引いた倭国は別の系統であり、九州こそが7世紀以前の倭国そのもの。その首都は太宰府であったとする大胆なもの。論拠となるものは中国の書籍から、放射線炭素調査、花粉の調査から古代の大阪の海岸線の話まで多岐にわたる。九州の英彦山、国東半島の仏跡に至るまで調査も行っている。

これに対し、どう判断するか。少なくとも仮説としては面白いし、論争をぜひ聞いてみたい。私自身が判断することではできないが古代の歴史も明治維新で闇に葬られた箇所も少なくないと思われるし、古事記・日本書紀自体がそれまでの歴史を改ざんして作られた可能性が高いものであることは言うまでもなく、考えるとワクワクしてくる。

九州に都があったとする説は非常に魅了的だ。ロマンがあるし、そうだとすると様々なことが繋がってくる感じもする。感じがするというのは第三者であり、単なる歴史好きの私にとっては感想しかないからだ。そうであってほしいとの希望も含めて。

この人の本はもう少し読んでみようと思わせられた1冊。学者との論争、ぜひ聞いてみたい。



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