「無償労働の人」を貶める「稼ぐ人」たちへ。
共働きが当たり前、子どもを保育園なんかに入れてかわいそう」などと周囲に言われない社会しか知らない世代に、「専業主婦は生産性がない」などど言われる筋合いはない。そういう時代も確かにあったのだ。
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まあ、そんな個人的な怒りは置いておくとしても、無償労働を貶める風潮には(働くようになった)今も疑問を覚えている。
専業主婦を貶める働く人には、専業主婦の母親に育てられた人も多いはず。あなた方は自分の母親を貶めたいのか?と不思議になる。
ましてや、現在我が子の世話を1度でも専業主婦の母親にやってもらいながら彼女を貶めるなら、その者はただの甘ったれな子どもだ。
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そもそも、(専業兼業関係なく)子どもの自立でようやく自分の時間ができた母親が、その時間をあなた方の子どもの世話に費やすのは決して「当たり前」ではない。
老いてもなお親としての使命感を持ち、人の親になった我が子の苦労を思い、好意から自らの自由な時間を「犠牲」にしているのだ。
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また、あなたの周りにはキャリアを捨てて家庭を選んだ人もいるだろう。
その人たちが家事や子育てはもちろん、町内会やPTAなどの地域社会でも、どれだけ働く人たちの分まで無償労働しているかを知らないのか?
そのような人の好意のおかげで、今の社会は成り立っているといっても過言ではない。
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もし、それをナンセンスと嗤うならば、なぜ誰かの無償労働に甘えるのか?普通に考えれば、家庭や町内会、PTAのルールを変える働きかけをするのが筋だろう。
あえてそれをしない理由は、無償労働の人にその任を押し付けるほうが楽だから。違いますか?
それで「私は自立している」とは片腹痛い。誰かに甘えて依存しているのはあなたの方だ。陰の功労者への感謝すらない身勝手な人間が、どうして自立しているといえようか。
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人間は、一人として誰にも世話にならずに生きてはいけない。他の誰かの犠牲や陰の貢献により私たちの生活は成り立っている。
そんな当たり前のことにも気づかず、ただお金を稼いでいないからという理由だけで相手を一段低く見るのはおかしい。
そういう輩は精神的に子どもだから、無償労働の人に甘えながら馬鹿にするのだろう。要するに、自分勝手で大人になりきれない人たちなのだ。
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そんな「無償労働の人」を見下す「稼ぐ人(特に男性)」へ。
今の自分の収入が、無償労働を行う人の協力の下で成り立っていることに早く気づいてほしい。
その人たちに深く感謝できるようになれば、その時こそ本当の意味で自立した大人になれるだろう。
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