企画展示「知識を世界に求めて―明治維新前後の翻訳事情―」@国立国会図書館に行ってきた話
こんばんは。千歳ゆうりです。
企画展示「知識を世界に求めて―明治維新前後の翻訳事情―」が国立国会図書館であったので見てきました。とても良かったです。明日までですが。 実際のブツを目で見ることにこだわりがなければ、リサーチ・ナビの方をご覧になっても良いかもしれません。簡単に紹介とか良い意味で嘘ですからね。ガッツリ紹介してくれています。
https://rnavi.ndl.go.jp/jp/gallery/exhibit2022.html#online
冒頭の写真は「訓蒙窮理図解」福沢諭吉著、です。理科の教科書で見たやつーー!!って嬉しくなっちゃったので撮りました。あ、写真撮影OKの展示でした。
主な感想はこんな感じ
鎖国といえど知識人は蘭学の翻訳書を読んでいた
明治維新「前後」なので蘭学事情から始まります。鎖国内でも志士たちはオランダの翻訳書籍を読んでおり、知識人は読んでいるもの、という感覚があったようです。オランダから見た世界ではありますが、世界地図についての知識もあった模様。そう考えると、江戸時代と今で、世界の広さなんて違わないのでは、なんて思います。農民に生まれたらどうしようもないですが、いま、わたしたちが、行ったこともない海外の情報をネットを通じて知っているように、幕末の知識人だって蘭学所の翻訳本から行ったこともない海外の知識を得ていた。そこに、どれだけの差があるだろうか?とふと真顔になってしまうのは、私だけでしょうか。 知識人からすればアクセス自体は難しくなかったとはいえ一方で、蘭学辞書の出版に関しては幕府はかなり渋ったといいますから、海外の知識が市井に流れることを幕府は恐れていた、という構図も伺えます。
本をどのように解釈して、どう「自分の主張を通すために」訳すのか、みたいな
幕末期、「オランダから見た日本」の和訳本が人気だったそうです。曰く「日本が鎖国しているのは、国内で十分事足りるゆえの合理的な選択なのだ」そうで。日本ってすごいんだぜ!みたいな論調に使われたのかしら、と思ったり。 論調に使われる、という意味でいうと、論文の翻訳とかもそうなのだけど、たとえば、「リヴァイアサン」の前半(民衆の自由について)を一切翻訳せずに、後半(政府への隷属を促す)を訳すとか、恣意的で少しゾッとしました。ただし、考えてみれば、明治初期にとって翻訳とは、文字通り知識の輸入のための道具のようなものであったと言えるのではないか。そして、知識の輸入と言ってパッと思いつくような、福沢諭吉に代表されるような啓蒙思想だけではなくて、「ほら!海外の進んだ文明だってこう言ってる!だから俺は正しいんだ!」と主張したい目的もあったのではないか? 実際問題、科学ブームが巻き起こり、学校制が始まり、教科書として化学書等の翻訳が使われるようになると、同時に、修身(倫理)の教科書も翻訳書から使われたり、民衆の間では啓蒙書がベストセラーにもなっていました。進んだ文明をとにかく知ることが大事だ、という考えがあったのでしょう。一方で、その貪欲に受容する姿勢において、「著者の意図を汲む」だとか、「書かれた国のお国事情を鑑みる」といった様子はなかったようです。道徳で言えば、キリスト教に関わる話を薄めることで日本人にもわかりやすくしたり、日本では「巌窟王」というタイトルで有名なモンテ・クリスト伯も黒岩涙香訳では船の名前が〜丸だったり、レ・ミゼラブルのコゼットが小雪であったりと、「原著に忠実に」という考えが生まれるまでには時代が下る必要があったのだな、と気付かされました。黒岩涙香の独特の翻訳法や(翻案とも言い難い)、海外のライトノベル(厳密に言えば違うんだけど今で言うライトノベル的な読み物)から大胆に翻案し新聞小説で名を馳せた尾崎紅葉の話などは、「日本近代小説入門」で先日読んだ話だったので、楽しく展示を鑑賞できました。
「原著に忠実に翻訳」という概念は明治18(1885)年、『繋思談』から?
上述の通り「原著に忠実に」という考え方が生まれるまでに時代を下る必要があったわけですが、じゃあどれくらい下るのか、というと、明治中頃、文学の翻訳がある程度盛んになった頃のようです。そして、明治らしいのが、「原著に忠実に」と説く洋書『繋思談』の翻訳が出て一大ブームになってからと言いますから、この頃の、海外本に権威を求める感じが伝わってくるような気持ちにもなります。 ちなみに、それで語順とかを逐語訳っぽく訳したりしちゃったのが二葉亭四迷。一方、日本語で読んだときの美しさを追求したのが森鴎外です。森鴎外がアンデルセンの長編小説を翻訳した『即興詩人』は原作以上なんて言われているそうですから、読んでみたいものですよね。
幕末〜明治の知識人は普通に漢文くらいは読めた、それって実はかなりのアドバンテージだったのではないか
話は少し遡って幕末期、海外の船が日本に漂着し、海外に関することを(市井には隠すにせよ)知らなくてはならないとき、まま行われていたのが、海外書籍を中国が翻訳した漢書を読む、という行為です。考えてみれば漢詩を嗜むのは当時の教養人として一般的なことで、当時の知識人は漢文は普通に読めました。逆に市井の砕けた中国語は読みづらかったと言いますが、学術的なお硬めの内容であれば、普通に読めたと言って良いでしょう。そうすることにより、オランダ以外の知識を得られるばかりか、翻訳のコストを下げることができる。それって、実はかなりのアドバンテージだったのでは、と思ってしみじみとしていました。
「原書→和刻→翻訳→翻案」の順序で受容された、という話
白話と言う、中国の娯楽小説(水滸伝とか)は、まず原文を頑張って読もうとする→それに訓点を振って多少なりとも読みやすくする→日本語に翻訳する→大筋を生かしたまま自分好みに味付けする、という流れで受容されたようです。頑張って読もうとする、というと、先述の漢文を普通に読めた、と矛盾しそうですが、娯楽小説はかなり市井の砕けた言葉で書かれています。また、チョウザメの漢字である鮪をマグロと思ってしまうなど、そもそも日本は中国のお国事情に関してはよくわかっていなかった(あるいは興味が無かった)とも思われます。そんなわけで、読むのが大変だったので、和訳されていくわけです。そしてその和訳を見て「これ、おもしれー!」って言った誰かが、大胆なアレンジを加えて出す……これ、別に白話に限った話じゃないですよね?アーサー王とかを大胆にアレンジしちゃったFateシリーズとか、文豪その他の擬人化コンテンツも似たような側面あるだろうし、私がかつていた女性向けライトノベル界隈では何度安倍晴明が擦られたことか!こういう大胆な翻案が出ることでどんどん大衆受けしていく、その前段階に原著を見て、「これ、おもしれー!」している人がいる……歴史とは繰り返すものなんだなあ、ってしみじみしちゃいますね。オタクとは、人類とは、結局同じことを繰り返す愚かな生き物なのかもしれない、そう思うとなんだか、楽しくなってきますね。私だけでしょうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?