自分の人生を他人に、捧げる人生でいいのか?誰かの価値観で他の人の人生を生きるのをやめよ💢
ほとんどの人には、「他の人の人生を生きてる」自覚はない。
だが、現実には自分以外の価値観を優先してきたために、心身の不調は起こる。学校や会社勤めの途中で、リタイヤしたり、言われた通りのことしか出来ない、のいずれかに分類される人種のいかに多いことか?
その原因は、日本人の遺伝子に深く刻み込まれて「トンデモ遺伝子」を継承し続けてきたことに多くの原因があると言える。
「社畜」のルーツを探ろう。
社畜とは、会社のために家畜のように働く会社員を揶揄した言葉です。
そのルーツは「武家社会」にあります。
ご紹介したいのは、南條範夫「被虐の系譜」原作の映画「武士道残酷物語」です。
1963年(昭和38年)4月28日公開の日本映画で主演は中村錦之助 (萬屋錦之介)。モノクロです。戦国時代から現代まで残酷・非情な封建社会をある家の7代にまたがる系譜を通して描いています。
自己を犠牲にしてまで主君に仕える日本人の被虐的精神構造を、江戸時代から現代までの7つのエピソードで描くオムニバス映画。
物語は現代に生きるサラリーマン・飯倉が、ダムの入札をめぐって上役から競争会社の情報を盗むように言われ、スパイをしたその恋人が自殺未遂をするところから始まる。映画はそこから飯倉の先祖にさかのぼり、主君や国家のために犠牲になって死ぬ飯倉家七代の残酷な歴史を綴っていく。藩主の落度を被っての切腹に始まり、殉死、不義密通の濡れ衣で男根を切られたり、老中に娘を献上したり、戦争で死んだりと、異様なエピソードの数々に日本人の原形が重ね合わされる。主君は、武士道の文脈では、君主や上司、指導者を指します。彼らに忠誠を誓い、そのために行動することが求められます。
上記の動画は予告編です。
少しだけ詳しく話しますね。
昭和に生きる飯倉家の子孫は、建設会社サラリーマンです。彼女はライバル会社で重役秘書をしていて二人は婚約しています。上司からの命令でどうしてもダム建設請け負いを果たさなければなりません。恋人に頼んで入札金額を知ろうとします。恋人は、重役にお世話になったコネ入社なので、秘密を盗む事に激しく抵抗します。そして、恋人を取るか会社をとるか悩んだ末に自殺未遂をしてしまうのです。入院先に駆けつけた飯倉は、先祖代々伝わる被虐の系譜について思い起こしていきます。
場面は、昭和から移り、ご先祖様は江戸時代から明治時代を生きています。武家は消滅して、先祖は新しい道を模索しています。婚約者とともに生き、弁護士を目指し、学問と仕事に励んでいます。(この辺は私の記憶があいまいです。申し訳ありません。)そこに落ちぶれたかつての主君がやってきます。この辺ですね~お殿様を見捨てることだ出来ない元武士に染み付いた「主君絶対主義」自分の命は自分のためにあるのではなく、主君の為にあるという「トンデモ理論」です。やがて、自分が仕事に出て行ってる間に婚約者に手を出し始め、おおっぴらに名前を呼ぶようになります。そして追い出せばいいのに、婚約者に我慢を強いる。婚約者は絶望のどん底に突き落とされる。
こういったバカ殿に仕え続け、自分も家族もぼろ雑巾のようになり自尊心を失っていったことを自覚した、現代の主人公は、すべてを捨てて婚約者を守ることを決意して物語は終わります。
心因性の不調の原因は、「トンデモ遺伝子」をコピーし続けた結果です。「トンデモ遺伝子」を捨て、新しい細胞によって、自分自身の人生を見つけましょう。
世の中には、いろんなセラピーがありますが、過去を正確にウォッチできなければ、未来も弱虫なままで終わります。
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