「トランスジェンダーになりたい少女たち」レビュー
非常に読みやすい本である。
たくさんの事例が出て来るが、著者の主張は極めてシンプルだと思う。
著者は真正の「性的違和(#性同一性障害)」は否定していない。ただしそうした子供は2-4歳で自分の身体への違和を感じている。しかし昨今の「トランスジェンダー」になりたい少女たちは思春期に生じる第二次性徴・・・乳房が大きくなったり、生理が始まったり・・・への困惑と身体的不快(そしてそこに男性から性的な好奇の目でみられることへのストレスが加わる)・・・をきっかけとしていることが大半である。
アメリカにおいては、キスを含む性体験のない若者が、携帯電話が登場して急激に増えている。
生物学的女性の思春期におけるトランスジェンダー指向は、たいていSNS上のインフルエンサーとそれを囲むコミュニティに大きな影響を受けている。
テストステトンを投与されれば生理からは解放されるが子宮内膜発育不全等の不可逆的な副作用も大きい。彼女らの多くは、当初は葛藤から解放されたと快活になるが、結局は不安定化し、鬱状態にある。
かといって、彼女らから胸の拘束具を取り上げたり男性名で呼ばなかったら自殺する場合すらある。彼女らの苦悩もますは受け止める必要がある。
アメリカにおける幼稚園時代からのジェンダー教育の徹底性。犠牲者を追悼し、マイノリティをいじめから守るという意図までは理解できるが、トランスジェンダーであることを学校の監査委員会に告白したら、親に対しても厳重な守秘となり、親はある日突然乳房を切除したいと娘に言われる事態となる。
本書は子供をトランスジェンダー「カルト」に奪われてしまった親の立場を単に弁護するのではなく、中立的な姿勢を崩していない。
「男性」になるための手術や薬には保険適用がされる。それにかかる費用は非常に安いことが拍車をかける。
トランスジェンダー「肯定(affirm)」療法(「受容」ではなくて「肯定」を進める)。 離婚したいとカウンセリングを受けに来たクライエントに早速離婚の仕方を伝授するカウンセラーがいるであろうか?摂食障害のクライエントに痩せ方を伝授するカウンセラーがいるであろうか?まずは「男性になりたい」という訴えの背景にあるものに耳を傾けるのが常道のはずである。ジェンダーアイデンティティがまだ形成途上であることを考慮しているのか? 「本人がその気になればいつでも薬の服用をやめて戻せる」というが、その頃には子宮発育不全や生理が回復しない、乳房が切除されて、もはやない可能性だってある。
摂食障害の女性が、やせさえすれば自分の悩みと葛藤がすべて解決すると思い込むように、トランスジェンダー指向の少女は、トランスしさせすれば自分のすべての悩みは解決すると思い込む方向に駆り立てられている。
単なる「女装趣味」の生物学的男性が女性スペースの利用を求めることの問題性。
本書ではトランスジェンダーのインフルエンサーもインタビューに登場しているが、トランスジェンダーとして生きることにはストレスが非常に大きいこと、そうした意味では現在の安易にトランスできる状況にはむしろ心配している旨発言する人物もいた。
・・・以上、著者の主張の要約であり、私の意見は含めてはいません。
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ここからが私の感想。
欧米、殊にアメリカにおける少女のトランスジェンダー指向は、もはや「カルト」化している、想像を絶する状況だとわかった。
恐らく日本ではここまで極端なことが生じることはないであろう。
この本は発禁処分、原書はAmazonでも取り扱わなかった時期があるそうだが(日本でも一部の大型書店では今も取り扱わない)、どうしてそうなったのか全く理解に苦しむ。
本書は実際の統計的研究文献にもたくさん参照し、インタビューの相手も全く公平に多数選択している(インタビューに応じることを拒否されたことも数多あったが)。
著者の結論は否定的なものだが、客観的な視点を一歩も踏み外してはおらず、これを「カルト」からの圧力・クレームに屈して発禁にしたというのは全く歪んだ状況だと思う。
著者はフェミニストといっていいだろう。しかし本書を読むにあたって、ジェンダー用語である「シス」「クイア」などは特に理解していなくてもかまわない。
私なりに敢えて言えば、本書は携帯とSNSに対して否定的な見地のみが強すぎる。SNSがDV被害者や障がい者など、虐げられた人々の発言の場と連帯のための機能も果たしているのは間違いない。SNS十把ひとからげと受けとられる可能性はあるわけで、むしろカルト的なトランスジェンダー煽動アカウントに対する批判という方向に絞り込まれるべきかと思う。
本書からの勝手な連想をすれば、恐らく人間は古代からベーシックな次元ではバイセクシャルであろう。戦国武将にはバイセクシャルはいくらでもいた。若い女性たちが肩寄せあってグルーミングする光景はありふれている。男たちは昔のように宴会で肩寄せ合ってということはあまり見られなくなったと思うが。
いずれにしても、本書を実際に読まないままトランスジェンダーを擁護するのも、批判するのもどうかとは思う。