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「ふつうの相談」についてのクリティカルなレビューの前に書いてしまった序章
さて、#東畑開人 さんという、今をときめく「トレンディな」臨床家を「仮想敵」にしてしまって、私なりの、心理療法の「統合」と、臨床家の養成のあり方についての、ラディカルと自負する私見を述べることをこの3連休の課題とする。
まずは、#東畑開人 さんの「#ふつうの相談」を実際には読まないまま、恐らくこの本の「先駆」であろう、彼の「日本のありふれた心理療法: ローカルな日常臨床のための心理学と医療人類学」という本の「精神経誌」のレビュー「だけ」を読んで感じた感想をアップするという、ズルいことをしてしまおう。
著者は『ありふれた心理療法』について様々な形で記述している。いくつかを抜粋すると、
「現場レベルでの妥協」「ブリコラージュ(手持ちのものをあれこれやりくりする方法)」「認知行動療法をトッピングした精神分析もどきのユンギアンフレイヴァー溢れるロジュリアンと揶揄されるような心理療法」
などと。
この部分には、共感を込めて、大爆笑した、とは述べておきます。 ホント、表現がうまい。
『ありふれた事例研究執策マニュアル』では具体的な実践のために
①頑張ってケースに取り組もう
② 先行研究を把握しておこう
③三段論法で問題を省こう
④お決まりの物語と文体を悦倣して事例を編集しよう
⑤事例を心理学用語に翻訳して考察しよう
⑥発表したら、意見をくれた相手を正気の人問だと思って対話しよう
と6つのステップを提案している。
ごく基本的なありふれた作業ともいえるが、このような積み上げが「現場の力」を作っていくようにも感じた、6つのステップを提案している。
・・・⑥なんて、ウイットのかたまりだが、言いたいことはよくわかる。
日本人の心理学理論の特徴として心の中心には何もないという考え方を紹介し,友田不二男の真空,河合隼雄の中空,鑪幹八郎の(中核自我のない)「アモルファス自我」,北山修や前田重治が治療者-クライエント関係の混淆を合金化と呼んだことなどがあり,精神分析と支持的精神療法が混ぜ合わせられているとした
実によくまとめておられますね。東畑さんは。
その通りだと思います。
ただ、私としては言いたいのは、この世代の重鎮たちって、実は欧米の心理療法の「純血種」ではないということ。 これらの「大御所」は、実は「自己流に」ロジャーズ派や精神分析やユングを理解しているだけで、「純血種」なら持てるはずの、「核心」には届いていないのだ。
実は、旧「ロージァス」(このように綴る)全集を翻訳した、伊東博先生と友田不二夫先生と、あと佐治守男先生っていう大御所は、実はロジャーズの神髄を理解していないで、誤訳だらけなんだよね(・・・と、爆弾発言)。
新しい「ロジャーズ選集」の時代になると、それが克服されているように思う。
精神分析についても、実は前田重治先生や、小此木圭吾先生、鑪幹八郎先生の世代は、精神分析を「自己流」にしか理解していない(超爆弾発言やな)。
このへんは、藤山直樹先生、松木邦弘先生、福本修先生の世代になって、やっと「純血種」の世代(おいおい、どうしてそんなことがわかる?)。
これらの先生の翻訳は、実に正確だと、私なりに思う。
・・・で、#イザヤ・ベンダサン の正体である、#山本七平 は、「#日本人とユダヤ人」の中で、日本の外来文化受けいれの際の特徴として、決定的な重要発言をしている。
「日本教徒」という概念の創出だ。
例えば、日本には「キリスト教」信者は存在しない。いるのは「日本教徒キリスト派」だけだと。
この流儀で言うと、日本の心理療法の各流派の、少なくともある世代より上の世代は、「日本教徒精神分析派」「日本教徒ユング派」「日本教徒ロジャーズ派」であるに過ぎない。
実は、先述の「純血種」の人たちに教育を受けた「後続世代」人達によって日本の心理療法の領域は「支配」されている。実は東畑開人氏や山崎孝明氏は、その典型とも言える。
この人たちは、「純血種」の世代に対して、ある意味では「親殺し」的なアンチテーゼを立てているのだが。
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さて、話題は少し変わるが、実は、欧米のキリスト教的・個人主義的バックグラウンドをベースにしないと、いわゆる「心理療法」なるものは、ほんとうには「身につかない」。
例外は、内観法と森田療法と臨床動作法とマインドフルネスくらいじゃないか?
さて、現代は、世界的に見ても、もはや精神分析とか分析心理学とか認知行動療法とか行動療法とか来談者中心心理療法とか解決指向心理療法とか短期療法とかいった、これまでの各心理療法「流派」の枠組みは、もはや守られなくなり、雨後のタケノコにように「新しい」心理療法流派が流行になってきている。
例えば、「トラウマ治療にエビデンスがある」と標榜する「新しい」心理療法流派って、幾つあるんだ?
ひかえめに見て、10幾つかはあるのではないか?
最新心理療法を学びたいカウンセラーは、どれを学んだらいいか途方にくれ、むやみと高いセミナー・ワークショップ参加費に、卒倒する状況だ。
でも、ほんとうにその「新しい」心理療法が有効なら、現場実践で「自然淘汰」されて、生き残る流派が決まってくるわけだ。
(例えば、そうやって、認知行動療法は、かつて、主流になった)
そうやって淘汰されないのはなぜか? それは、「金儲け」ですよ(爆)
各新流派は、自分の流派に「著作権」を申請する。 そして、その「新流派」の心理療法を、自分たちの主催するセミナーやワークショップでしか「学んではならない」、門外不出の「秘伝」としてしまい、それでとんでもなく高い受講料を取っていたりするケースも多いのだ(どの流派とか言わんが・・・)。
別にそういう金儲けしているとは言わないが、「#ポリヴェーカル理論」なんて、どしてあそこまでトレンドになったんでしょうかね?
神経科学をベースラインとして、心理現象をなんでもかんでも説明したがる学派、というくらいのことは知っているが。
私の理解では、#東畑開人 さんや #浅井伸彦 さんは、そういう、小難しい新流派の乱立の中で、貧しい若い心理職が、基本的な学びをバランスよく平易な形で学べるような、いい意味で「大衆的」で、すそ野の広い育成スタイルを模索しているのであり、そういう意味では評価に値するようにも思う。
だだし、敢えて悪口を言えば、「量産型ザク製造機」のような気も・・・している。
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続編は、現場臨床で「どんな(what) 」技法を用いるかはさして問題ではなくて、「どのように(how)」用いるかがすべてではないか、ということを書いてみます。
ひょっとしたら、この点では、意外と東畑さんや浅井さんと、一周まわって、共通理解ができるのではないか?と想像しています。