アウターナショナルの世界へ
昨夜は仕事復帰して2週目
やっとエンジンも給油が完了して、キーが入った程度
でも、余計なエネルギー消費は、燃費の問題もあるけれど(人間歳をとると燃費は悪い💦)在宅してると増えないから
適度にリフレッシュの為に、ベランダで外で足の腱を伸ばしてしたり、あげてみたり、
Apple musicのプレイリストに従ってダンスっぽく踊るくらい。
本音は気軽に昼に外でランチしたり、公園でお弁当広げたりしたいけど、校正がやっと作業が捗り始めると、なるべくロスタイムは減らしたい。
前髪も侍の様にゴムで縛ったり、気合い入れの為にブラックコーヒー☕️を飲んだり、水で顔を洗って目を覚ましたり
水を飲む事も忘れるくらいに根を詰めてしまう性格。
ああ、この無音でひたすら仕事に向かう瞬間、自分らしさは疑わない。
だからこそ、仕事をマイペースでも取り戻す。
これが私の社会復帰へのタイミングだったのかもしれない。
ただ疲れて、夕飯の準備等もそこそこに、布団にごろっと横になって、ふとスマホである人のTwitterを見てると気付くことがある。
私にとっての「愛」は本当の愛なんだろうか、と。
ネットの検索の知識だけど、こうある。
古代ギリシア時代の哲学者アリストテレスは人は「自分自身と同じ考えをもち、同じ事柄を望む人」「自分自身とともに悲しみ、ともに喜ぶ人」を愛すると言う。
果たして私のこれまでの愛は本当の「愛」であったのか?それとも「自分が好き」な自己満足だったのか。
そんな「愛」についての名言を目にするだけで、愛に戸惑うのだ。
偽善じゃなくて、誰がを救ってあげなきゃと必死過ぎる訳でなく、ありきたりの半生を送ってきた私自身、夜にみたLIVE配信の「入管法改悪反対」国会前のデモの風景に心が痛くなり、言葉さえも出なくなる。
ふと小さなスマホの画面で布団の中でさえも、居た堪れなくなり、立ち上がって
ダイニングテーブルにある私の個人パソコンの画面で見続けたい、そう感じた。
我が家は品川区大井町
高津は川崎市高津区にある地名で、東急線でもすぐだ。たったこれしか離れてない場所で起こってる悲しい出来事。
日本に住んで23年にもなる、クルド人難民のユスフさんの悲痛な声がより胸を打った。
同じ人間なのに、何故、職務とはいえ
入管の職員は病の人を間近にしても放置するのだろうか。
このデモをパソコンでLIVE配信みつつ検索すると、確かに2年前に該当するタグのTwitterの投稿があった。
コロナ禍、ウクライナ戦争、台湾有事、北朝鮮からの脅威、アジアやアフリカ、中南米、欧州、アメリカ、香港の抵抗デモ、気候変動、貧困、自然災害、大規模地震等々
世界各地で紛争や自然破壊は起こってる。
アート、文化、言葉、音、、
そしてSNS、動画やインターネット
全ては世界はつながってる。
その為のつながるための言葉
だったのかな、とふと思う。
自分らしさはそこにあったんだね
今もスマホで打ちながら思ってる。
笑顔で描くミライ
になるといいね☺️
これは私が敬愛してる堀潤さんのForbesの寄稿文です。良ければ読んでみてくださいね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?