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母と裁縫の話

母の愛をあんなに求めていたのに、母の本質的な部分をちっとも理解していなかったことが前回のカウンセリングで解った。

カウンセラーさんからは、「依存先をお母さんではなく、旦那さんに移しましょう」と幾度も諭されている。
現在のパートナーは夫であるし、母の愛をいくら求めても、欲しい言葉は得られずに苦しむだけだからだ。

じゅうにぶんにそれは理解している。
わたしが「母親」としての母しか愛していなかったことも、そして今も愛していないことも、頭では分かっている。
それなのにやっぱり、「母親」を求めてやまない。

今日の午後、昼休憩のために職場という名の自室を出てリビングに行くと、自宅待機中の夫が「お義母さんから荷物届いてたよ」とソファの脇の段ボールを開けるよう促してきた。
そういえばLINEで食べ物を送ると言っていたな、と思って段ボールを開けたら、いちばん上に透明な袋に包まれたぬいぐるみが乗っかっていた。


手作りの猫のぬいぐるみだった。
全長約17センチくらいだろうか、既製品と見まごうほどの出来栄えである。

先月から何度か、母が猫の惨殺現場さながらの製作途中の写真を送りつけてきていた。

「28歳の誕生日プレゼントだよ」と母は言っていた。
わたしが幼いときから猫好きで、以前から「猫を飼いたいけど、今の賃貸のマンションはペット不可だし、新居のマンションを購入するのはオリンピックも延びたしまだ先になりそう」と溢していたのを覚えていたからだろう。

LINEで「もういい大人なんだし、ぬいぐるみなんていらないよ」なんて返信することはできなかった。
仮に母に手芸の才能がなく、お粗末な出来だとしたら、まだ突っぱねることもできたろう。

けれど、母は短大の家政科出身だ。
おまけに縫製の専門学校も通っていたようで、服であれば型紙から起こすことができるほどに裁縫に長けている。
ぬいぐるみは専門外らしいが、型紙があればだいたいどんなものでも作れるらしい。


この写真の後ろにちらりと映るうさぎも、以前母が作ったものだ。

既製品と遜色ないくらいかわいくて、そして手作りで、なにより母の才能の象徴であるそのぬいぐるみを、わたしは断る術を持たない。
わたしは母に、母らしく生きて欲しかった。
「夫に金銭的に依存する女」でいて欲しくなかった。
縫製の才覚を活かし、自立して、わたしを連れて、わたしだけを連れて――弟は置いて、父親から逃げて欲しかった。
そして、大好きな裁縫を仕事にして、わたしと2人で暮らして欲しかった。

わたしは母に自立して欲しかったのかもしれない。
母は「この年まで外で働いたことがないし、手に職もないのに、自分の力でお金を稼ぐなんてできない。離婚なんて無理だ」とよく嘆いていたが、母には裁縫があるじゃないかといつも思っていた。

幼稚園のお遊戯会では誰よりも素敵なドレスを作ってくれ、毎年1着は必ずセーターを編んでくれていた。
手編みのセーターは往々にしてダサくなりがちだが、母の編むセーターは味わいがあり、かわいくて、言わなければ誰も手作りだと気がつかない。
子どもの頃のものや、毛糸が縮んで着れなくなったりしたもの以外は、今でも普段着として着ている。

それほど才覚があるのに、どうして家政婦のような扱いを受けながらも母が未だに父と離婚しないのか、甚だ不思議で仕方がない。
わたしは父に暴言を吐かれたり、物を投げつけられたり、父に怯えて暴力に加担したりする母ではなく、好きなことをしている母が好きだった。

編み物の目数を揃え、ひとつひとつ注意深く間違えていないか点検し、編み目の大きさを均等になるよう気をつけながら慎重に編み上げる母のその様が、好きだった。
型紙に合わせて生地を裁ちばさみで寸分違わずカットして、シワが寄ったりしないよう、縫い目が見えないよう、丁寧にミシンをかけるその母の真剣な眼差しが、眩しく映った。

本当なら父に縛られずに生きることのできる、その能力のある人なのに、なぜこんなつまらない人生で妥協しているのか、わたしは母のその弱さが許せない。
許せないのに、やっぱり届いた猫のぬいぐるみを、わたしは雑に放っておくことも抱いて眠ることもできず、そっと机の端に置いておく。

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