マスクをつけた女性から教わったこと。
「今はコロナで、マスクをしっかり
しないといけないけど、私は、
人と話していてマスクがズレても、
ウデが動かないから、自分ではマスクの
位置を直せません。そのままじゃ
話し相手に迷惑がかかるし、かと言って、
毎回毎回、介助者の人にマスクのズレを
直してもらうのも申し訳ないので…」
…そう言った彼女は、
マスクを両面テープで、
肌にくっつけていました。
脳性麻痺のため生まれた時から
右手以外、首から下に麻痺があり、
わずかに動く右手で、
電動車椅子を動かしている女性でした。
あなたは、自分の生活が
どんなに大変だったとしても、
関わる人に対して、
優しさを持てますか?
そう問われたような気がしました。
これは以前、私が重度障害者についての講演を受講した時、講師として来ていた女性の話です。
立ち上がる、座る、車椅子への乗り降り…など、常に介助が必要なため、介助者の負担が大きくなることは避けらない毎日。
脳性麻痺により、言葉がゆっくりでありながら、体での表現が一切出来ない中、必要とする介助内容の全てを1から100まで言葉で伝える毎日。
うまく伝わらないことに妥協したり、同じことを分かってもらえるまで繰り返しお願いしたりしながら、ようやく介助者に伝わるようになってきて、生活がラクになってきた!と思った矢先に、介助者が、負担が蓄積してきたなどの理由で辞めてしまう…。
それが繰り返される現状を、自分の問題という以上に、介護業界や社会全体の問題として、なんとか改善していけたら…という思いで、重度障害者の存在を知ってもらうための活動を職業にしたそうです。
介護…というザックリしたくくりで見るとき、高齢者介護の方が注目されがちですが、
重度障害者の方々への介護もまったく足りていないこと…確かに、知る機会が少ないのが現状だと思いました。
後日、友人と、介護を必要とする人について話しました。高齢者と重度障害者、てんびんにかける
ことはできないながらも、どちらがどんな状況なのか、その状況の見方は、人それぞれです。
私は「高齢になるまで健康で生きてきた
高齢者なら、高齢がゆえの障害は
致し方ない点もあるのでは…?
健康に気をつけずに生きてきた人の
高齢がゆえの障害や不調は、
ある程度は自分の責任なのでは?」
「一方で重度障害者の方は、
先天性、後天性いろいろあれど、
自分の健康意識がどれだけ高いかは
関係なしに、予想もしない状態に置かれて、
それでも一生、障害と共に生きて
いかなければならない…という点で、
高齢者以上に応援が必要なのでは?」
と、考えていました。
友人は、こんな私の考えを聞いて、
こう話しました。
「不自由なく生きてきた人ほど、
高齢がゆえの障害や不調が出たときの
落ち込みが大きくて、その落差は
耐え難い苦痛になり得るから、
支える必要があるのでは?」
「一方で、重度障害のある方々に
応援が必要だと決めつけるのは、
健常者の上から目線。重度障害者…
という捉え方は、あくまで客観視であって、
自分はその障害がデフォルトだから、
必ずしも障害者全員が、自分には
障害がある、不自由で辛い…と
思っているとは限らない。」
とても気付かされる考えでした。
考え方に正解はありませんが、
自分が上から目線、健常者目線に
なりやすいこと、高齢者には高齢者の、
重度障害者には重度障害者の、
もっと言ってしまえば、一人一人に
それぞれの背景があり、求める介護も、
求めない介護もある…ということに
気付かされました。
詰まるところ、見るべきは、
高齢だとか障害だとかではなく、
その人を、その人として
ゼロから見つめる姿勢が必要…、
はじめまして、よろしくね、
あなたと丁寧にお付き合いしたいです…
という、人と人とのコミュニケーションや
マナーに行き着くような気がしました。
実際、先程の話の中の彼女は、私の記憶の中で、講師としてでもなく、重度障害者としてでもなく、コミュニケーションの場で周りの人を思いやる優しい人として生き続けています。
そして、これからも、ことあるごとに、記憶の中の彼女が思い出され、
自分は、どんな人とも、
まず人として向き合えているか…
相手から向けられた優しさに
ちゃんと気付けているかどうか…
そんなことを考えていけそうな気がしています。
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