平ら山を越えて(感想)_こっけいで、皮肉の込められた短篇集
「平ら山を越えて」は、河出書房新社から2010年に<奇想コレクション>シリーズの1冊として刊行されたテリー・ビッスンの短編集。テリー・ビッスンは米国ケンタッキー州生まれのSF作家で、少しだけ非現実的な設定を含ませならが風刺のきいた話が特徴的。収録されているのは『平ら山を越えて / ジョージ / ジージ / ちょっとだけ違う故郷 / ザ・ジョー・ショウ / スカウトの名誉 / 光を見た / マックたち / カールの園芸 / 謹啓』の9本。
以下、いくつか気になった短篇をピックアップしてネタバレを含む感想などを。
古き良き時代を懐かしむ『平ら山を越えて』
アパラチア山脈が隆起してひとつにまとまったことで、標高が高くなって酸素濃度が薄くなり、人を襲うような陸ロブスターが棲むようになったという世界での物語。
連結式のトレーラー・トラックで山越えする運転手CDの視点で物語は進行し、持ち金の少なそうなヒッチハイカーの小僧(名乗ったがCDは憶えていない)を乗せ、二人は平ら山を越えていく。
CDはふだんヒッチハイカーを拾わないが、標識わきで雨に打たれている小僧に哀れみを感じてトラックを減速させて小僧を乗せる。30年前の自分と似た雰囲気を感じ取ったCDは小僧に対して、言葉数は少ないがお節介と思わせないよう親切に小僧を導く。
また、トラック内ではカール・パーキンス、ロレッタ・リン、ドリー・パートン、などのカントリー・ミュージックを流しているところから、昔気質で大衆的、そして情に厚いCDの人柄が伝わってくる。
酸素が薄いため呼吸スプレーを使って山越えする描写や、食用にもなる巨大な陸ロブスターから襲われるくだりが、いかにもテリー・ビッスンらしい戯話になっており、そんなバカな!という不思議な気持ちにさせられる。
二人のやり取りでは、ストレートに本当のことを言わず、相手を思いやったり、自尊心を滲ませた嘘を混ぜながら、やるべきことを為す男たちの短い交流に気持ちのいい読後感がある。
親しい人を失う子どもの『ちょっとだけ違う故郷』
決断力と行動力があって楽しいことを空想しているトロイ、その友達で少しだけ臆病なバズ、それと背中が曲がっているためひとりでは歩けないけれども気の強い性格のいとこの女の子チュト。
この3人は古い競争場にあった木と帆布だけでできた飛行機に乗って砂漠の先にあった街へ行く物語となっており、飛行機はレクトロ(強力電解質入り)と呼ばれる飲料を燃料にして飛び、飛行機の操作はつまみを左右にまわすだけだ。
夕方に飛行機が辿り着いた街は、3人の住む街にそっくりだが町役場の塔に時計は無いしバズに瓜二つの男の子が住んでいたりする。さらにチュトの背中は良くなっていて、ひとりで歩けるようにもなっている。
一晩を過ごした3人は、もとの街へ帰ろうと飛行機で落ち合うが、チュトは帰らないと言う。この街には母がいるしひとりで歩けるようになったからと。
トロイはチュトのことを自分の一部のように親しみを持っていたので一緒に帰るように促すが、うまく言葉にあらわせずに別れるシーンが切ない。
『ちょっとだけちがう故郷』の街は並行世界だったのか、それとも死後の世界のような場所だったのかは分からない。
編訳者あとがきによると、この短篇は死の床についていたビッスンの親友でいとこのために書かれたとのこと。
終盤に判明するのだが、チュトは自分の余命が短いことを知っており元の街へ戻ったところで長生きは出来ない。チュトもトロイを大切に想っており、親しすぎる仲だからこそ本当のことを言わなかったのだと思われる。
性格の異なる3人がのんびりと池で釣りをしたり、ポップターツ(いろんなフレーバーのある平たく甘いお菓子)を分け合ったりするのが羨ましいのと、友達と一緒ならば空想の世界ではどこまでも飛んで行けるような、子どもの頃に持っていた万能感を思い起こさせ、少し悲しい別れの物語となっている。
自由と老いを考える『謹啓』について
老いた二組の夫婦を中心に物語は進行し、二人の夫トムとクリフのもとへ政府から死を強制する通知が来るところからはじまる。
増えすぎた世界人口を減らすため、先進国の死亡数を調整することになった世界。70歳を過ぎると抽選で通知が届くようになっており、通知には「自己犠牲の機会に恵まれましたこと、お慶びを申し上げます」と記載されており、集団で死ぬ様子(サンセット旅団と名付けられている)をTVで中継されている。
TV中継にはヒラリー・クリントンなどの有名人がゲストとして呼ばれ、テーマ音楽をランディ・ニューマンが書き下ろしている様子から、国として人口を減らす政策を必要以上に美化していることがうかがえる。
この世界では、役に立たなくなった老人を切り捨てることで、個人の幸福よりも人類全体の幸福を優先させる施策が政府主導で行われており、これによって、自分が「普通」で「マジョリティ」で世間の「役に立っている」から、と社会的弱者を切り捨てるような思想を持っていると、いざ自分が社会的弱者になったときに、同じことを言えるのかということを考えさせられるようになっている。
トムとクリフは『サンセット旅団』への参加を拒む。海辺の別荘へ行き、妻たちに見送られて自分たちだけで死ぬことを試みる。お気に入りの音楽を聴きながら、このまま二人は死んでしまうのかと思いきや、監視員カリンの手違いによって死ぬことが出来ず、トムは死なずに意識を戻しクリフは脳卒中のような症状になってしまう。
このあたりの二組の老夫婦と監視員の混乱した様子の描写が秀逸だ。ビニール袋で息の出来ないクリフの右手が上下しているのは「異議あり、裁判長閣下。」と、今更ながら殺されることへの不服を訴えているようであり、クリフを殺すために派遣された監視員に対しては「息が出来ないじゃないか!殺すつもりか」と矛盾することを言ったていたり、死の代替え手段にと取り出した銃を監視員から取り上げたりと無秩序。
死ぬことを取りやめたトムたちは、意識の戻らないクリフを医者に診せるために車で逃げるも、事故を起こしてしまい妻たちは事故死。トムとクリフは意識を失って、政府の制度へ抵抗するレジスタンスに匿われることになる。
レジスタンスの施設は老人ばかりで、やることといったらくだらない番組を垂れ流すTVを皆で見るだけ。
老人たちは番組の内容に対して特に反応がなく生きる屍のようで、生きる目的もなく身を隠してただ余生を過ごすだけの生活はレジスタンスに生かされているといった体だ。
トムは容疑者扱いで死の通知を受け取っているため、警察に捕らえられたら殺されてしまうが、施設に残って長生きしたとしても人としての尊厳は無い。
そのためクリフを車椅子に乗せて脱走を試みるも結局はレジスタンスに見つかってしまう。連れ戻されることを拒んだトムはクリフを銃で撃ったうえで、自らも撃って死ぬ終わり方は、他の短篇と比べてもかなり後味の悪い印象を残す作品となっており、誰かに殺されたり尊厳を奪われるよりは、自分で死を選ぶ方がマシだろ?と問いかけられているかのよう。
施設にいるクリフは、「ハベアス・コルブス」という単語しか発しなくなるのだが、『habeas corpus=人身保護令状の要求権』のことらしく、不当に拘束されている被害者を救出する手段とのこと。つまり、クリフの意志もトムと同様に牢獄のようなレジスタンスの施設から出たがっていたのは確か。
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全9編の短編のうち、前半はユーモア溢れる内容となっているが、後半になるほど内容がシリアスになっていく。
装丁のデザインは「奇想コレクション」シリーズでイメージが統一されており、祖父江慎+コズフィッシュ。イラストは松尾たいこで、デティールを省略したベタ塗りのイラストは、少しだけコミカルだけどペーソスも感じさせていて好き。
すらっとした明朝体との組み合わせが素敵な装丁で、シリーズすべてをコレクションしたくなってしまうほど。(本棚がいっぱいになるのが嫌だから買わないけど)
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