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本当に実存が先なのか。サルトル哲学を考える。

サルトル、名前は聞いたことあるけれど…

実存主義で有名な、フランス近代哲学者、サルトル。彼の語る実存主義とは何か、ご存知でしょうか。

彼のイデオロギー「実存は本質に先立つ」、を簡単に説明した上で、

「人間だって、本質が先じゃないの?」と、いう自分のつぶやきを書いてみました。


ジャン・ポール・サルトル


「実存は本質に先立つ」

サルトルは、
あらゆるものが、【本質→存在(実存)】という構造に当てはまっているのに対し、

人間だけはその逆【存在(実存)→本質】であると述べています。

存在、本質ってどういうこと?

ちょっと、図で表してみました。 

自作^ ^

 例えば、コップを考えてみます。コップは、本質が先に来ます。

コップの本質とは、
「液体を入れること」「飲みものを保持すること」です。

「液体を入れるもの」、「飲み物を注いで飲むための容器」が必要で、
コップという存在が生まれました。🍵🍺🥛

つまり、コップという存在ができる前に、本質があるということですね。

なので、コップは【本質→存在】です。

サルトルに言わせれば、他にも、あらゆるものがこれに相当します。

例えば、ペンは、「ものに書けるもの」が必要で、ペンという存在が生まれました。✒️ᝰꪑ

こちらも本質が先に来て、存在は後に来ます。

しかし、
人間だけは違います。人間は、本質よりも、存在が先なのです。

サルトルは、人間は生まれた段階では何も決まっておらず、(本質がない状態)
自由であると言います。


𓀫𓀠 𓀡 自由だーっ!!𓀫𓀠 𓀡

サルトルのこの実存主義は、[ヒューマニズム思想]であると言われます。

確かに、この考えは、
人間の自由さを肯定し、未来への希望を持たせる。
どんな境遇で生まれてきた人でも、
未来は変えられるということが、提示されています。

いや…でも…

本当に実存が先なのか?

人間だって、本質が先な気がする。

なぜ、サルトルは人間と、そうでないものという、二項対立を作ったのでしょうか。
なぜ、境界線はそこだったのでしょうか。

私は、その点がすごく疑問です。

人間だって、
繁殖のために生まれています。
生殖活動をし、種の数を増やしている。

人間だって、規格外、私たちの想定外のものになる訳ではないです。

「人間」の汎用性も、他のものと同じくらいではないか、と思うのです。

コップが、鉛筆立てとして使われてしまったり、

コップを積み重ねてタワーを作ってアート作品になってしまったり、というくらいの、
汎用性くらいしか
人間も、持ち合わせていないのでは…?

しかし、
サルトル実存主義が、ヒューマニズム思想だと謳われるのだから、

繁殖とか、
生物学的な論点を問題にしては、いけないのかもしれないけど…。

でも、少し引っかかる。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

知世きいろ





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