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翡翠の窓3

◯火曜日の原田さん◯
火曜日の開店準備は階段を降りるリズムからして軽い。私の愛するカフェ界のアイドル、原田さんが来る日なのだ。アイドルと言うと語弊があるか、妖精と言った方が正確かもしれない。いや、妖精というよりコロポックル…?
原田さんはカフェを愛する、おじちゃんなのである。

原田さんは地元では有名人だ。
まず絵を描く。子どもが描いたようなシンプルな線で、ギターやポットが踊り出す。上手いのかどうか全く分からないけれど、原田さんにしか描けない味のある線を、とにかく丁寧に時間をかけて形にする。他にもギターも弾けば編み物もする、マルチプレーヤーだ。
「可愛い絵ですね」
私の正面のカウンター席が原田さんの定位置。そこで絵を描く原田さんに、そっと声を掛けると
「そうでしょう!
 ボク可愛いのしか描けないんですよねえ〜!」
と満足そうに、前歯の抜けたなんとも気の抜ける満面の笑みで毎度返してくれる。そうして大事に描かれた絵のファンは多い。坂の下の商店街でも2年に一度くらい個展が開かれているが、
「ボクよりボクの絵が好きな人って、多分居ないと思うんですよね!」
と言って決して売らない。きちんと額装もして、一人暮らしの決して広くない部屋に累々と積まれているそれを、夜な夜な引っ張り出しては「やっぱりいいなぁニヤリ」と眺めるのが原田さんの日課らしい。
そして仕事以外の時間はほとんどカフェにいる。仕事の日は仕事明けに1軒。お休みの日はモーニング、ランチ、夕飯と馴染みのカフェを3〜4軒ハシゴするのだ。だからカフェ界では原田さんを知らない人は居ない。

とはいえ、何かを多く持つと言う事は、その分何かを失っていると言う事だ。

これだけオリジナルな生き方をしていれば、当然そこかしこで肩をぶつけたりつまずいたりしている。

それは時に、傍目に切なくなるほどに。

原田さんの中身は妖精だ。いつか今際の際には金色の粉になって、フワッ!と消えて無くなるんじゃないかと私は思っている。けれど外から見れば70手前のおじさんなので、可愛いカフェで長居する事を良く思わないお客さんも、残念ながらいて、それで出禁になった店がいくつかあるらしい。当の本人も、店主から少し苦言を言われただけでちょっとふてくされたりする事があるのは否めない。陽気だけれど、同時にピュアで不器用でもある。

ある火曜日、いつもは私の目の前のカウンター席に座る原田さんが、店の一番奥の席に背中を丸めて小さく座った。様子がおかしい。元気がない。
私は原田さんにお水を出しながら
「珍しい席ですねえ今日は」
となるべく間の抜けたトーンで声を掛けた。
「あの、大丈夫ですかね」
「ん?なにがです?」
「ボク…部屋干しが…におい、大丈夫ですか?」
うつむいたままの消え入りそうな声。小さくなってしまった大きな背中…胸の奥がチクッとする。
何か言われたんだ何処かで。私はなるべくゆっくり息を吸って、背中に毛布を掛ける気持ちでことばを紡いだ。

「原田さん、ビッグオーのお話はご存知ですか?」
びっくりしたように顔を上げた原田さんと目が合う。
「ビッグオー?シルヴァスタインのですか?」
さすが原田さん話が早い。

ビッグオーは、自分に欠けた部分がある事に気づいた〇だ。欠けた部分を探して〇は旅に出る。ところがどの△も□も形が合わなかったり、初めは合っていても合わなくなっていったりする。そのうちビッグオーは、欠けているなりにガタゴトと転がり始める…。

つまりこれは人生の話だ。 

この英語版を母に贈られた高校生の私は、この単純な線で綴られた絵本に目が開くような気持ちだった。人は誰かに補ってもらうようでは、いつまでも満たされないのだ、と。

「原田さん、私ビッグオー見た時衝撃でした。
 1人で転がれるなら本当に素敵だって。
 でもね、この年になって最近思うんですけど」
私は原田さんにきちんと伝わるよう改めて向き直った。 

「〇は欠けた所があるから、他のカケラと
 惹かれ合うことが出来るんじゃないかなって!」

私の勢いに押されてちょっとのけぞった原田さんは
少し間を置いて
「ですよねえ〜〜!」と前歯の欠けたいつもの笑顔を見せてくれたのだった。何かが伝わったのかは甚だナゾだけれど。

今日は原田さんの好きなパンケーキを焼こう。
綺麗な〇じゃなくても、パンケーキは美味しいのだ。

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