![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/39806989/rectangle_large_type_2_267c6be1e459b04188bf1426241eff86.jpeg?width=1200)
翡翠の窓
〜プロローグ〜
暗かった窓辺に朝の気配が入り込み、波打つ硝子が翡翠のような色を湛えるこの時間が好きだ。早起きな小鳥たちが一斉に太陽の訪れを讃歌する。無垢な命が朝を悦ぶさまに、少し責められたような気持ちを孕みつつ、音の増えていく世界を布団の中から耳で愉しむ。
その度に「春はあけぼの〜…」は名作だなと思うのだ。故郷の“やうやう白くなりゆく山ぎは”がまぶたの裏で色付く。この町なら、眼下に流れる尾道水道に朝日が差し込むようすがそれに当たるのかもしれない。それでも「春」の部分しか、この名作の暗唱は出来ないのだけれど。
翡翠色が淡くなり始めると人の気配が町に満ちる。バイクの音、窓を開ける音、足音…と共に小鳥は謳うのをやめて、さぁ起きよと言われている気分になる。パン屋のサーくんが店前に今日の角食を置いてくれる音がして、やっと起きる気になる。白い布団の中で小さく背伸びをして黒光りした床に足を下ろす。
パン屋程じゃないけれど、morning standの朝は早い。
タイル張りの古めかしい洗面所でパシャパシャと顔を洗って髪を結い、1階への急な階段を降りると、少し湿ったひんやりとした空気に肌がキュッと引き締まる。古い日本家屋でお店は土足だから無理もない。それにこの感じ、別に嫌いじゃない。店モードへのスイッチが入る感じがして。
いつもの白いエプロンを身につけて、薄暗いカウンターに立てば、そこからは家家の隙間からほんの少しだけ尾道水道を見ることが出来る。それがこの家に移住を決めた理由だった。いつか『先生』が話した故郷に出てきたこの景色だけが、何もかも手放した私の手のひらに残っていたものだったから。
「ん〜!!」
伸びをして店前の角食を手に取ると、国産小麦と掛け継ぎの自家製酵母の濃厚な香りに包まれて毎日深呼吸してしまう。コレが無かったらまさか自分がmorning standをやろうなんて思ってもみなかった。サーくんにはぜひとも元気でいてもらわねば困る。
カウンターに戻って季節の空豆ポタージュの寸胴にゆっくりと火を入れ、半熟卵を茹でる準備をする。ベビーリーフを洗い、バターをふわふわに練る。
さあ、今日も朝が始まる。