なにを言っても理解されることはない孤独
平安時代の女性がひらがなで物語を書いても、当時の世間でまともに取り上げられることはなかった、と橋本治はいいます。
一方、橋本治は戦時中の小林秀雄について“なにを言っても理解されない不幸な人物”と評し、小林秀雄の孤独がどのようなものであったかを『小林秀雄の恵み』に書いています。
私は、平安時代に物語を書く紫式部などの女性や、戦時中に危険を侵してまで心に従う発言をする小林秀雄に通底するものを、『桃尻娘』を書く橋本治に感じます。枕草子を桃尻語で訳した橋本治にも。
桃尻娘は、まともな内容は“まともな”文体で書かれているものであるという常識に対して、「めちゃくちゃな文体でまともなことを書いた」挑戦でもありました。枕草子も、格調高い日本語で訳されるべきだという常識に対する「原文に忠実に訳すためには若い女性の話し言葉で訳すしかない」という根拠ある現代語訳です。
それは一部で熱狂的に支持され読まれたものであっても、日本の主流や常識のなかでは、成し遂げた功績を正当に評価されることはありませんでした。
大きな力によって“見えない”存在にされている人の弱く小さな声や、この世のなかで言葉を持てないでいる(いた)立場の人に言葉を与えて、それまで形にならなかった気持ちを丁寧に掬うような仕事をしていたのが橋本治であると私は考えています。
もう遅すぎるほど時間は経ってしまったけれど、そして橋本治も亡くなってしまったけれど、橋本治がした重要な仕事を歴史のなかで正当に位置付けることこそ、橋本治の本を一生を懸けて読んでいくと決めた私の目指すことです。