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災害救援部隊的作家〈橋本治読書日記〉

再読している『親子の世紀末人生相談』で、橋本治が自分のことを「災害救援部隊的作家になっちまいました」(p.217)と書いていて、ほんとにその通りだと思って笑ってしまった。
人生が切羽詰まって破綻をきたしかけたときに橋本治に出会ったという人は橋本治読者には多いだろう(私の場合は『シンデレラボーイ シンデレラガール』)。まァそこまではいかなくても、ずっと言いたかったけど言えなかったことを言ってくれている!とか。人生相談もそうだが、橋本治の文章は多くの場合「誰のために書いているか」が明確にあって、それがたまたま自分に向いている言葉のように感じることがあるのだと思う。いずれにせよ一番“宗教”になりやすい瞬間とも言える。ただし、それに最も自覚的だったのは橋本治自身だった。一方で災害救援のように書きながら、宗教にさせないように、自分が宗教にならないように書くことを常に忘れなかったのが橋本治だ。思考停止させて妄信させるのが宗教だとすれば、読者に自立を促して自分で考えさせるのが橋本治。
前にも書いたが、橋本治のその姿勢が表れているのが「トンネルを掘って、掘った人物がトンネルの向こうで待ち構えていたら、そのトンネルは『罠』である」(橋本治『小林秀雄の恵み』)という言葉だと思う。

遂に「全共闘に興味がある」と言えるようになってしまった私は昨日のNHK「映像の世紀 バタフライエフェクト」をもちろん観ていた。全共闘だけをやっていたわけではなくて、60年安保70年安保の流れで、のちのあさま山荘事件に繋がる出来事の一つとして。でも申し訳ないけど観てて「元気だなァ……」って言っちゃった(もう日常生活に疲れすぎてて他人の不倫のニュース見ても「元気だなァ」って言ってますが)。人間のエネルギーがすごい。人の数もすごいし、国会も新宿も、映るとこみんな人がワチャワチャしていて「ハロウィンに渋谷に来ないでください」とか言うレベルじゃない。ネットもないのによくあんなにも人が集まれるもんだ。火は出るし棒は振り回すし石が飛ぶどころか硫酸みたいな危ないものまで降ってくるとか、今の人が見たら橋本治じゃなくても距離置くよ、怖いもん。現状の無関心は投票率3割以下の選挙にも表れていて、腕まくりして選挙行くタイプの私もさすがにどうしたもんかと思うけど、「政治の季節」って言われてた時代の映像を見たら圧倒されてしまった。関心がありすぎるとああなるの?門ブチ破って国会に殴り込もうとするなんて最近のアメリカにもあったから、昔の映像なのに逆に既視感があったよ。全共闘運動やってた人が当時を懐かしんで、共有していた何かを思って「あの時代はよかった」って言うけど、実際映像見たら何がよかったの?って、ますます謎が深まってしまった。
ガウディの建築って(唐突)、光の流れとか重力とか、自然の原理を使ってすごく考えられていて、それでいて遊び心もあって可愛くて単独で見ても魅力的なんだけど、バルセロナに行って街の中で見ると見え方が変わるってあんまり誰も言わない。サグラダ・ファミリアを上空から撮った写真に見える見事な“碁盤の目っぷり”は有名で、建築規制の細かい、均整の取れた街だからこそ生まれた建築物だな、ただ奇抜なだけではなくて、と大学生の私は思った。
…というのに似たものを、全共闘の映像を見ながら感じていた。ここに橋本治がいたんだなって思って観ていた。

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