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丸裸でしかない自分のすることをきちんと見てくれる人の方が好き

「男の子達は、服よりも服の値段を見ているような気がした。“そういう服”を着ている彼女達の中身だけを見て、“そういう服”を選ぶ彼女達の感性とか技術とか、そういうところに結集する人となりなんか全然見てくれていないような気がした。

『男の人は女の子の外見しか見ないというけれど、本当かしら?』と、ファースト・キッチンの店の中に入った醒井凉子は思った。白いつば広の帽子は『はい』と言って木川田くんが返してくれたから、醒井凉子の頭に載っている。
だから、その白いつば広の帽子は“ヘンな帽子”じゃなくて、“誰にでも似合うまともな帽子”だ。
『でも普通、男の人はそういうことをしてくれなくて、そんな格好をしている女の子の中身だけを見てる─ということは、何を着ても何も見られてないんだから、いつも裸を見られてるのとおんなじじゃないの』というようなことを、醒井凉子はファースト・キッチンの“Aセット”を選びながらほんのちょっと考えてしまった。
結局、何を着ても“なんだかよく分からないものを着ている”と思っているだけの男の目は“好奇の目”で、結局のところ、自分はいつもなにも着ていない透明人間のようなものでしかないのかもしれないと、醒井凉子は遠くで思った。500円でお釣りが来るような“Aセット”を平気でおごってさえもくれない男の子は、でも、そういうのとは全然関係なくノーマルで、この人がノーマルじゃなかったら一体なにがノーマルなのかしらと、醒井凉子は思った。
自分が何を着ていようと、結局裸にされるしかないような、どこを見ているのか分からない視線を持った男の人よりも、ここにいて、自分の分しかお金を払わない人の方が、『私はこうなのよ』と作り上げた“私自身”をちゃんと見てくれる、と。
別に『ダーツの取り方がいい』なんてことを言ってくれなくたっていいけれど、『私はこうである』という格好をしている人間を目の前にしたら、『そうだね』って言ってくれることが一番自然なのにと、醒井凉子は一人で思った。」
「ニナ・リッチの“海の乗馬服”を選んだ醒井凉子は、それを着ている自分よりも“それを選んだ自分”の方にズーッと関心があったから、自分がどこで何を着ていようと、そんなことはどうでもいいのだった。
自分を丸裸にしてジロジロと見るような人間よりも、丸裸でしかない自分のすることをきちんと見てくれる人の方が好きだから─。」

橋本治『雨の温州蜜柑姫』

醒井凉子の服装に関する考え方から連想したのは、美輪明宏さんの言葉でした。

「ホモセクシャルだってことが、いまだに記事になったり不思議がられているなんて、地球もまだまだ未開国と同じですよ。だって、ホモは人類が誕生した時からあって、ギリシャ、ローマ時代にもいたし、『古事記』にも出てくる。そのホモを現代の人が珍しがったりするのは、結局、歴史に学んでいないからなの。」「ホモセクシャルだって、日本の歴史の中ではずっと常識だった。それが軍国主義でひっくり返っちゃった。」「『メケメケ』のときには、『化け物だ、ヘンタイだ』と言ってた人たちが、『よいとまけの唄』で素顔にワイシャツ一枚で出たら『まともになった』と言う。『黒蜥蜴』でドレス着たら『やっぱりヘンだったんだ』。つまり、みんな布切れ一枚で振り回されている。だけど、中身の私はずっと同じで変わっていない。『あなたたち、布切れ一枚で振り回されてる自分をヘンだ、おかしいと思いません?』これが、私の問題提示だったのね。」

美輪明宏
(島森路子インタビュー集1『ことばを尋ねて』)


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