子供を幸福度の高い子に育てる: 4歳の子供にお小遣いを与えた話
ほんのわずかではありますが我が家では4歳の子供にお小遣いを与えています。
理由は3つあって。
①お金と言うものを知ってもらうため。
②親が納得できないお金の使い方をしたいと子供が言ったときに自分の傍でお金の範囲でならいいよと平和に解決するため。
③わずかではあるけれども自分で決定すると言う自由を与えるため。
お小遣いといっても本当にごくわずかですよ。
お年玉として親から数え年×100円を渡し、
そのお金は自分の好きに使っていいお金だと言うこと伝えています。
4歳なので今年1月に手にしたのは500円。
そのお金を巡って、
幸福度の高い子供を育てるということについて
考える出来事があったので、まとめてみます。
そもそも幸福度の高さとは
我が子を育てる上で願っていること∶
幸福度が高い人に育ってほしい。
高学歴とか高収入とか活躍することとか
愛する人と家庭を持つこととか
そんなことはあとからついてきたら万々歳で、
とにかく幸せと感じられる人生を歩んでほしい。
そのためにこころがけていることの1つが
自己決定感をかんじられるよう
自立の支援をしていこうということ。
このように考えています。
こう考えるにいたる研究などがあるのですが、
その話は本筋からそれるのでまた今度。
ワーママはるさんが自己決定感について
話されていた回はこちら
https://voicy.jp/channel/862/127653
起こったこと
・普段はものをねだることがまずない子供なのですが、今日はどうしてもガチャガチャがしたいと言い張った
・私はガチャガチャのようなすぐにゴミになってしまいがちなおもちゃが嫌いなのでそのことを子供に伝えて反対した
・それでもまだなお子供はガチャガチャがしたいと主張を続けたので、自分のお小遣いでなら好きにしたらいいと伝えた
・お小遣いはお年玉で親からもらう数え年× 100円のみなので、つまりガチャガチャをすることで持っているお金のほぼ全てを使い切ってしまう
・そして、ガチャガチャをあきらめる代わりに、お店で欲しいものがあり、長く使えそうなものであれば母のお金で買うという提案もしてみた(お金をより多く使うことになってもゴミが増えるよりいいという考え)
・それでも自分のお金でどうしてもガチャガチャをすると言い、子供は自分で選んで自分のお金を使った
・結果的に子供は手に入れたものをとてもとてもとても気に入り、ずっとそのおもちゃをうれしそうに持っていった
あるあるだけど幸福度を下げてしまいかねない思い込み
今日の出来事を振り返る中で
私の言動が幸福度の高い子に育てるということに
反する言動をしていたことに気がつき反省…
気がつくということが変えていく第一歩なので大きな収穫なので、
思い込みを書き換えることにしたのがこちら:
★持っているわずかなお金を使わないで済むほうがいいに違いない
×そもそも子供は自分の持っているお金を使ってみたかった
×すごく無意識に、子供に「お金は使わない方が良いものだ」という価値観を植え付ける言動だったと反省(お金は蓄えるものという考えを持たせたくない、どう使うか・どう増やすかを教えたい)
→子供が自分のお金を使ってでもしたいと主張するときは、今後絶対に反対をしないと決めました
★ 親は人生の先輩だ、より良い決断をしてほしい
×どういうお金の使い方をする方が「賢明」か、子供を誘導しようとしてしまった
×よかれと思ってのことではあるけれど、こういうことの積み重ねが親の敷いたレールを歩む子にしてしまうのではないかと反省
→大切なのは、親が教えた親の考える安全な人生を歩むことではなく、自分で決めた人生を歩むことで自分を幸せにできるようになってもらうこと
→人生の経験が多い方がより良い選択をできるという無意識にしがちな言動をあらためようと決めました
→良い選択かどうかは親のわたしが決めることでも、社会が決めることでもなく、本人が決めること
もし、わたしの提案を受け入れて、
より実用的なものを親のお金で手に入れたとしても、
あの満足げな笑顔はなかったんだろうなぁ。
今日のこの出来事から学んだこととお小遣いの効果
自分で物事を決定するという自己決定感は幸福度を上げる
と言う事はよく理解しており自分自身でも体感して
生きているにもかかわらず…
幼い子供にこのように接するのって結構難しい。
あらためて、ひとりの人間として向き合う心がけをしていこうと思いました。
そして、少額であってもお小遣いというのは
このような自己決定の経験を積む
1つの手段になるのかなと思ったので続けていきます。
お年玉分がなくなることがあれば、
今度はどうやったらお金を稼ぐことができるかを教えてみようかな。
大人2人(※説得を試みたのは実は私だけでなく祖母も)に説得されてもなお自分がこうしたいと言う主張を続けられた我が子。素晴らしい成長しているなと誇らしく思った出来事でした。説得しようとしてごめんね。