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自主休校、という選択。

自主休校、と聞くと、大学の授業を思い出す(その場合、自主休講か)。
だが、今回はあえてこの言葉にした。

不登校。なんか暗そうな雰囲気醸し出してない?
と思っているので「自主休校中」と言うことにしている。

我が家の小4娘は、去年から学校に行くのを渋り始めた。
しくしく泣くことも多く、何かのついでにかかりつけの小児科の先生(漢方の世界ではかなり有名な先生だった)に相談して漢方を処方してもらったりもした。

共働きなので当時3年だった娘には留守番が少しハードルが高く、私たちも行く、行かないの世界で揺れていた頃の話。


始まりは、確か3年の2学期頃だったように記憶している。
クラスの女子になぜか文句を言われた、や、周りの子が「はよしいやー(早くしての関西弁)」と言ってくるのでマイペースな娘には鬱陶しい、ほっといて欲しい、と教えてくれることもあった。

担任の先生ともその問題について話し合いをしたり、先生は娘を気にかけて声をかけてくれたり、いろいろやってくれていた。

そんなこんなが続いた朝、
「学校行きたくない…離れたくない」泣き出す娘。
「〇〇(娘)が辛いのはわかる。私だったらほんまに辛いもん。そいつらは無視しとけ、って言っても出来ないのもよく分かるよ。私もそうやもん。
でもごめんな、今日仕事やねん。送るのは出来るから、一緒に行こうか」となんとか説得して家を後にした。
道すがら、同じ学年の子が「あ、〇〇だ!」「おーい」」と声をかけてくれる。
だが、娘は私にしがみついて離れない。
「怖い…」
怯えきった様子。なんとか、その子たちをあしらいながら娘を25分かけて歩いて送る。

校門に近づくと、顔がどんどん曇り、「行きたくない!」と言い切り、しがみつく。
(まだ私の認識が古く、学校に行かせなきゃダメだ、と思い込んでいた時期であったことを先に記しておく。)
「1回入るだけ入ろ?」
校門を半ば強引にくぐると、しがみつく力は一層強くなった。
そこへ、保健の先生が現れる。
「〇〇ちゃん!おはよう!行こか!」
体育会系らしく、元気な挨拶。
「大丈夫、来ちゃえば元気にしてますよ」
と、娘の手をとり、教室まで連れて行こうとする。

その時、娘が
「お母さん!行かないで!!」
と涙ながらに手を握り、学校から出ようとする。
体格がいいので、何せ重い。よろけそうになる。
先生も「お母さん、仕事行かなあかんやん、一緒に行こうよ」
と手を引く。
娘、大号泣。

最終的に、先生におまかせする形で学校を後にした。保育園に預ける時と同じやないか。

仕事へ向かう道すがら、「ここまでして行かせる意味ってあるのかな…」と、娘に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

案の定、この日を境に欠席が多くなり、3学期には別室登校もしたが欠席日の方が上回った。

ちなみに、別室登校は親のハードルと負担が非常に高い。
給食は好きなので給食を食べると言うが、親の私にはご飯がない。そんな時は何とかカバンの中にあるプロテインバーでしのいだりした。
だが、聴覚過敏の私は、昼休みの子供の声がしんどくなり、段々と学校に行くのが怖くなってきた。

それ以来、朝着替える時に泣きだしたら休ませる、私が仕事の時は夫に在宅にしてもらう、という選択をした。

それが良かったのか悪かったのか今でも分からない。
あの手この手を尽くしてくださった担任の先生には、修了式の時にスタバのVIA(インスタント)を添えて手紙を渡した。職権濫用。

なお、4年生になった今は1回も教室で授業を受けていない。
週に1回、スクールカウンセラーさんの所へいき、一緒に給食を食べて帰る。
ここまでになったのも紆余曲折あったが、本人の苦労も、親の苦労も計り知れない。

みんな違って、みんな大変なんだろうな。





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