サステナブルが苦手な人に伝えたいはなし
「サステナブル」という言葉が苦手なあなたへ
なんだよその意識高いの最高峰みたいなワード。
結局どういうこと?持続可能な社会?何をすればいいの?
新製品は右を向いても左を向いてもサステナ、サステナ。ただのトレンドとして消費されてるだけにも見えるし。
自分だって考えてますよ、ほらやるから、今やろうとしてたところですー。
あー、もうやる気無くしちゃった。
みたいな、お母さんに宿題やれって言われたとき現象みたいな態度をとっていました。こういうとき人はアクションしません。
私は幸い会社でこの CHIRUDA に出会い、多くの問題を知るきっかけを得ました。まだ斜めに見ることも度々な反抗期な私ですが、それでもあれ?なんか面白いかも。と思うようになった私から、題字の状況な方へのアドバイス。
苦手な人はまずこのサステナブルというワードを言い換えましょう。
サステナブル=意識高い のバイアスをはずすには、違う表現にしたほうが聞く気になれます。
サステナブルとは、「未来の子孫にツケを払わせない生き方」だと私は解釈しています。
現在こうやってサステナブルという言葉を頻繁に耳にするようになったのは、不当に扱われていたコト・ヒト様々な問題のツケを払う期限がきた。という時代の変わり目、潮目なんだと思います。
環境、人種、文化、ジェンダー。現代を彩る社会問題は全て過去の人間たちの生き方が起こしてしまった問題です。
私は女性で、フルタイムで働き、結婚していますが子どもはいません。こんな生き方、現代日本には溢れていますが今から遡ること100年前の大正時代では賛否両論でした。
大正時代には、わずかですが社会進出する女性が増え「職業婦人」と呼称されていました。当時の風当たりはなかなかに強く「男の仕事を奪うな」「女は家にいろ」「子どもも産まないで仕事とはけしからん」との批判も受けています。
令和の時代にこんなことを男性が言い放ったらそれこそ大変な問題になります。
現代では男性の方が気を遣う・肩身が狭いなんてぼやく方もいますが、過去自分たちが押さえつけた事柄が反動をつけて戻ってきただけ。
※男性を批判する意図は全くないよ
今問題とされているどの事柄もそう、押さえつけてきた方に何世代か後にツケが戻ってきて、改めてその是非が問われているだけのこと。
近年ライフスタイルや価値観が急速に変化し、ツケを払う期限がどんどん早まっていくように感じます。
もしかしたら、今何気なく起こしている私の行動が、10年後大きな問題で降りかかるのかもしれない。だから後の世代にツケを払わせない生き方を探さなくちゃ。それが私のサステナブル。
私は「myサステナブル」を実現するために、全てにリスペクトという昔のジャパニーズヒップホッパーみたいな気持ちを大切にしています。押さえつけない、否定しない、嫌いなところより良いところを先に見つける。
自分と違う人に対しては特に。違う政治思想、性別、国籍、文化、生物。尊重すれば、例え理解できなくても否定しようとは思わないから。心がけているだけでなかなか難しいけど… すぐイラッとしちゃうけど。
話が脱線し始めたのでまとめると。
それぞれが「my サステナブル」を見つければ良いのだと思います。それを探すヒントをこの CHIRUDA は色々と発信してくれるから、ピンときたものをキャッチアップして人生のプロテインとしてご利用ください。
あなたが あなたらしくいられる世界を作るヒントをぜひ見つけてね!