【日本語を楽しく感じたい時】犬は「びよ」と鳴いていた
ゆる言語学ラジオというYoutubeチャンネルで紹介されていてすぐさま購入。
(このゆる言語ラジオについても記事を書きたいと思ってます)
犬が「びよ」と鳴いていたなんで面白いですよね。「びよびよ」ないているのを想像してしまいました。
このように昔と今で擬態語が変わっていること、そしてその鳴き方がいつ頃だったのかが動物別に書かれています。感覚が違ったのか?というよりも犬に関しては、飼い方が変わったり、時代とともに違ったり、今と昔で指している動物そのものが違ったりと…興味深く読みました。
上げればきりがないですが、私的に面白かったところを3つご紹介します。
擬態語とダジャレ
擬態語に「かわいい」というのも違うかもしれないですが、
可愛いんです。本に紹介されていたかわいい擬態語を紹介します。
本によると浮気をした男がうっかり浮気相手の着物を着てしまって、妻にバレてしまい、とっさに狐の真似をしたというものだそうです。
こんこんは今でも狐の鳴き声ですが、「後悔」と掛けているとのことです。
このように擬態語を話や和歌の中で掛けてあるもの(駄洒落)が多数紹介しており、解説を見ないとわからないもの、解説の前に気づいたもの、色々あり言葉の豊かさと作者の洒落っ気といいますか、楽しみながら書いているところが想像できます。
擬態語を説明するのは難しい
本に書いてあって初めて気づいたのですが、外国語が母語で日本語を学ぶときこの「擬態語」が何を表すのか、例えばお腹が「しくしく」痛いのか、「きりきり」痛いのかの違いを理解するのが難しいということでした。日本語が母語でも違いを説明するのは難しいです、例えを表すときに擬態語を使っているので、擬態語を擬態語で表現してしまいそうになります。
そういえば外国の小説で擬態語って出てこないですね。
長崎方言と赤ちゃんの泣き声
平安時代の『宇津保物語』に赤ちゃんの泣き声が「いがーいがー」と表現されているそうです。
これは現代の表現「おぎゃーおぎゃー」に近いですよね。そういえばうちの娘も聴き方によっては「いがーいがー」だったかも。
この「いがー」ですが、私の出身長崎県(島原市)では子供のことを「いが」と呼んでいることを思い出しました。
「標準語」と発音に差のある方言だと思っていたのですが、昔の擬態語からきた(と思われる)と考えれば納得です。
そういえば中学校の国語の先生が「島原の言葉は奈良時代の言葉や文法の用法が残っている」と言ってたっけ。
故郷が1000年ぐらい前の言葉がそのまま使われているなんて古来と今との「糸」のようなものを感じてしまいます。
ただこの「いが」という言葉ですが、私の両親が使っているか使っていないかぐらいの言葉です。この言葉も使われることがなくなってきていると思います。実際私も使っていませんし、長崎にいるときも使っていた記憶はありません。
時代の流れではあるのですが、そういった言葉が手からこぼれ落ちるようになくなって最後は何も残らないというのは寂しさも感じます。
この言語関係の本ですが、もう少し読み続ける計画です。