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お風呂で読書


人は歳をとると昔話が多くなると、誰かが言ったとか言わなかったとか💦

自分に置き替えてみると・・・🙄確かに微妙です(笑)


本を読むことが少なくなってきたなぁと、ここ数日考えていたんだけれど。

自慢じゃないんだけど、若い頃はよく読んでたよね。小説からエッセイからミステリーから随筆から科学書から・・・面白いと勧められるものはもちろん、本屋さんで平積みされていて、題名が氣になるものは、結構読み漁っていた。

それが・・いつの頃からか、本屋さんに通わなくなった。
車で通う仕事になったことで、通勤電車の自由時間が減ったことも要因のひとつだったけど。

一番の問題はやっぱり「視力の低下」
そうです、年齢とともに『老眼』が進行しているので、焦点がなかなか定まらず💦

前にも書いた氣がするけれど、私は『超・近視』で、室内用メガネと外出用メガネをその都度使い分けている。

だけれども近頃、この室内用の、いわゆる老眼鏡がなかなかフィットせず、見えにくかったりすることが増えてきた。
老眼が進んだのか、それとも左右差が生じているのか・・🤔


なのでここ数年は本を読むのがとても億劫になっていた。
老眼鏡をかけても、イマイチ焦点が定まらず、文字がぼやけてしまうので、長い時間集中することが出来なくなった。


それでも・・本来、文章を読むのは好きなんだよね〜📚
自分の知らない知識や景色や、考え方なんかを、ある時は「へ〜そうなんや!」ある時は「ええ〜?!そうなんか?」といった具合に、インストールしたり参照に終わったりする、その感覚が楽しい。

今までの自分の「知らない分野」を、ギュッと絞ってまとめて詳しく説明してくれているわけだから、さもありなん!なんだけど。

それが小説であっても、理系の解説書であっても、文芸の記事であっても、私にとって「未知の扉の向こう側」であることは変わりなくて。

あ、そういう意味では、ここnoteの世界も同じかもしれないなぁ。。。


物理的な本と違い、電子機器で読める文章は、文字の大きさを変えたり出来て、老眼の私にとってはとても便利だけれど、ページをめくる感覚が乏しいのがちょっと寂しい。

読書って、あの「次のページは何が出てくるか〜!」とか、ページをめくった次のページの先頭の文字を見た時のワクワク感が楽しいんだよね。


それでも、昨年末あたりから読書をする場所を見つけた。
それが浴室。お風呂に浸かっている15分〜20分ほどが読書タイムになっている。

お風呂なので、メガネを外すんだけど、近眼なので、本を近づければ読むことが出来る。もっと早く氣付けばよかった🤣
本のページに湯気が当たったり、濡れたりしないように氣をつけながら、毎日読める楽しみを見つけた。


そうするとね・・
本の購入数が一氣に増えたの😝

本屋さんに行かなくても、最近はポチッとするだけで数日後には家に本が届く仕組みがあって超便利。


心の中を整える方法を書いたちょっとスピリチュアルな本や、前に美容院で教えてもらった「量子力学的習慣術」や、他にも心の持ちようを整える「波動について書かれた本」などが、あったかいお風呂の中で読むのにとっても心地よい。

そして最近は京大の宮沢先生の「ウイルス学者の責任」や「京大おどろきのウイルス学講義」を一生懸命理解したいなと、頑張って読んでいる。

15〜20分経つ頃には、汗もタラタラ💦

それでも、今日もちょっとでも「扉の向こう側」を覗いてみたいと、鋭意努力を続けるちろりなのでした🤣



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